今ここにあるいじめ [不安なお母さん方へ]
不登校の生徒、またその保護者にとっても、学校に行く必要のない時期はほっとするのではないかと想像しています。
まして、いじめから不登校になっている生徒にとってはなおさらのことだと思います。
今日、たまたま読んでいたツイッターに、担任の先生から明らかにいじめと受け取れるほどの差別を受けて、持って行き場のない怒りと悲しみを抱えている母親の話がありました。
それを読んで、今は亡き息子が小学校の5,6年の時に先生から受けたひどい仕打ちを思い出しました。
当時、息子は忘れ物の常習犯で、母親の私が細心の注意を払っていても忘れ物が減らずに、それを快く思わない担任の先生が息子につらくあたっていました。
担任の先生がそんなふうだと生徒も同調し、息子がつらい立場に立たされていたことは事実でしたが、同じくいじめられている仲のよい友だちもいたこともあって、不登校には至りませんでした。
けれど、学校で怒られ、家でも私が怒ることが多かったこともあり、息子の毎日は何の楽しみもなく、つまらなかったと思います。
今の私だったら、担任を最低の先生だと思い、何があっても息子の味方をしたと思いますが、未熟な母親であった私は、息子を非難する担任に一言も返せませんでした。
それでも、その先、息子に、つまらないと思う人生を送らすことだけは避けたいと思ったので、中学1年から一年間山村留学に出しました。
よかれと思って、先回りをすることの多かった私から離れて、失敗する経験をたくさん積んで、自ら学ぶほうが息子のためにもなると思ったからです。
結果、息子は見違えるように成長して帰ってきました。
成人してから、「僕は山村留学に行かなかったらどうなっていただろう」と振り返っていました。
月日を経て、今、もし自分の子どもがいじめられているとしたら、どうするだろうと考えてみました。
残念ながら、学校に訴えても、それが解決しないのは昔も今も変わらないと思っています。
いじめられている子の苦しみやつらさを理解し、動いてくれる学校や担任の先生がどの程度いるか疑問だからです。信用できないと思っています。
それではどうするか。
私は逃げ出すか、転校しかないと思っています。
そうしたからといって解決するかどうかわかりませんが、わが子を苦しい環境においたままにするのは、その子の将来にとってもよくないし、長期間にわたって傷が残ります。
別の場所に子どもを移して、そこが合わなかったら、また別の場所を探す。
諦めないで動いていれば、必ず、道は拓けると思います。
前回の記事では、不登校の生徒にとって、「夏は正念場、勉強が大事」とかきましたが、いじめで苦しんでいる生徒はそれどころではないと思います。
まずは不安材料を取り除くことが、求めらえると思います。
不登校を考える練馬の会(いちごの会)5月例会のお知らせ [不安なお母さん方へ]
新学期が始まって1ヶ月余りが経ちました。学校に行っていないわが子と日々接しながら、あるがままの子どもを受け入れようと思いつつ、それでも受験のことや将来のことを考えると不安な気持ちに押しつぶされてしまうこともあるかと思います。
そんな時には、同じ立場や環境にいるお母さん方と会って、話をすると元気が出ることがあります。
「苦しいのは自分だけではない」と思えるからです。
新しい空気を吸いに出かけてみてはいかがでしょうか。
いちごの会ニュースNo.67より
最近お子さんが学校に行かれなくなった方とお話をしました。
「必要だから止まっているのですよ」「感じることのできる素晴らしいお子さんだから止まることができたのですよ」とお話ししたら、「強いですね」「どうやってそれを自分に納得させたのですか」と聞かれました。
私も揺れに揺れ続けたのは同じです。今、確信を持って話せるのは子どもが身をもって教えてくれたということかな?とこれまでを振り返りながら帰ってきました。
いちごの会で同じ立場のお母さん達と出会い、かっこつけないで本音で話せる場をもてたことができたことも、大きな元気と力をくれたのだと思います。この場が細く長く続くことはやはり大切なことなのだと、あらためて感じた出会いでもありました。
【連絡先】 宇治川美晴 e-mail; miharu711@hotmail.com
不登校を考える練馬の会(いちごの会)例会のお知らせ [不安なお母さん方へ]
今月は3週目ではなくて、4週目になりました。
気が向いたら、ご自身の換気もかねて、誰にもわかってもらえない思いや気持ちを吐露しに、参加してみてはいかがでしょうか。
春三月、寒風に耐えてふくらんだ枝先の目が、今にも新しい息吹きを見せてくれそうな陽気になりました。小鳥もさえずり、虫たちもうごめき始めましたが……
我が家は、家族の葛藤の嵐の吹き荒れた十五の春でした。
皆様の春も悲喜こもごも、うららかとばかりはいえないかもしれませんね。
「普通の高校生になりたい」という娘の思いを前にした時、親としての至らなさ、無力さをつきつけられ、また競争を降りるという言葉の意味は何だったのか、自分の中の価値観のあいまいさに向き合わされた1年でした。
生き残りのために進学に力を入れていく学校に路線変更していく高校は増える一方で、チャレンジスクールの受験倍率は3倍近くになるという不十分さ。不安を抱えた子供たちがどんなにきつい思いをしてこの時期を過ごしているのでしょう。大人の不十分さを子供に押し付けていることをどこでだれが責任を取っていくのでしょう?
たとえ嬉しい結果になっても、素直に喜べず、また新たな不安を抱えている娘。寄り添って一緒に立ちすくみながら、新たな門出を長い目で見守るしかできないのかなと思っています。
ちゃんと「さよなら」をしないと、ちゃんと「こんにちは」ができないと、高垣先生が書いておられました。ちゃんとさよならをして、人真似でも借り物でもない自分たちのペースで、歩みを前に進めましょう。(「いちごの会」の会報 No.66より)
例会の連絡先; 下地 ℡(携帯) 080-5082-1843
宇治川 e-mail : miharu711@hotmail.com
不登校を考える練馬の会「いちごの会」企画の講演会のお知らせ [不安なお母さん方へ]
以前のブログ(2,007年10月24日)「不登校の進路説明会(1)公立中学の現場から」でお話いただいた山岡 雅博先生(公立中学校教諭・学校心理士)の講演会が、“不登校を考える練馬の会「いちごの会」”の企画で開催されます。
思春期の子どもを持つ保護者の方の参考になる内容だと思います。
近くにお住まいの方、または、遠くても話を聞いてみたいと思われる方は、出席いただければと思います。
練馬区教育委員会委託
子育て学習室講座
思春期のつまずきと発達過程を学ぶ
1.日時; 平成20年1月26日(土)午後2時~4時30分
2.会場; 光が丘区民センター 5階 和室
(光が丘区民センターは、都営大江戸線「光が丘」駅から地下道で直結しています。)
3.講師; 山岡 雅博(公立中学校教諭・学校心理士)
思春期に子ども達が成長していく発達の過程を学びながら、学校で子ども達とふれあう現役教師(学校心理士)が目にする、子ども達たちが陥りがちなつまずきの要因なども話していただきます。そして、親や大人たちが、社会との関わりの中で、どのように考え、行動していったらよいかを語り合います。
4.対象;区民および関係者、その他思春期の子ども達についての話を聞きたい方
5.申し込み;(当日会場で受け付けます。)
6.企画;不登校を考える練馬の会「いちごの会」
7.問合せ先;「いちごの会」世話人電話 080-5082-1843
また、下記に「いちごの会」の「ニュースNo.65」より、世話人のお母さんの、年頭の言葉を紹介させていただきたいと思います。
「新しい年を迎えました。
皆様にとって幸多き年になりますことを心よりお祈りいたします。
世の中は一人ひとりの思いとは逆方向に走っているものばかりが目に付きます。でも、だからこそ、大切なものが鮮明に見えてきたりもしています。
競争ばかりがあおられている日々の中で、豊かに力強く生きていく賢さももたずに歩んできたわが身が悔やまれます。
長い時間をかけてぶれない軸が築けなかったために、現実とも折り合えず、中途半端な理想論はわが子には伝わらず、苦しい「15の春」に向かっています。
いつか迷いから抜け出した娘が、一歩を踏み出したとき、少しは歩きやすい道になっているように、ねずみのような小さな声をあげ続けていきたいと、身が引き締まる元旦でありました。」
日本子どもソーシャルワーク協会主催の「シンポジウムのお知らせ」 [不安なお母さん方へ]
私が3年間学んだ「日本子どもソーシャルワーク協会」のシンポジウムが下記の要領で、開催されます。
シンポジストの3人の先生たちは、私が受講した講義の主要メンバーで、教わった内容については、今でも私の子どもに対する考え方の核になっています。
一番役に立ったのは、「子どものありのままを認める」「受け止める」ということが、どういうことなのか理解できたことです。
私は子育てが終わってからここで勉強したのですが、子育て真っ最中の頃にいろいろと話を聞けていたら、子どもに対する接し方も違っていたのではないかと残念に思いました。ですから、子育て中のお母さんや、子育てに悩むお母さんたちにこそ、ぜひ聞いていただきたいと思っています。
今回の内容については詳しいことはわかりませんが、現代の子どもの置かれている状況や生きづらさ、親の大変さに寄り添った、深い内容の話が聞けると思います。
「日本子どもソーシャルワーク協会」と出会うことによって、何かがよい方向に向かって動くかもしれません。また、それを心から願っています。
シンポジウムのご案内
この度、下記の要領にてシンポジウムを開催させていただくこととなりました。
つきましては、万障お繰り合わせの上、ご参加下さいますようご案内申し上げます。
記
テーマ:いじめが終わるとき~ひとりになれるために~
シンポジスト:芹沢 俊介(社会評論家)
高岡 健(児童精神科医)
寺出 壽美子(ソーシャルワーカー)
日時:2007年10月7日(日) 13:30~16:15(開場13:15)
場所:砧総合支所
費用:1,500円(資料代)
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特定非営利活動法人
日本子どもソーシャルワーク協会
157-0066 東京都世田谷区成城2-29-12
Tel.03-5727-2133 Fax.03-3416-6994
http://www.jcsw.jp kodomo-sw@jcsw.jp
↑アドレスが変わりました!!
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不登校、ひきこもりの親の葛藤 [不安なお母さん方へ]
子どもが不登校でも、ひきこもりでも、親が子どものありのままを受け入れていれば、やがて子どもは前に踏み出していくと言われています。
だから、その時期が来るまで、親は辛抱強く子どもを見守っていればいい、と専門家もアドバイスしています。
専門家の言葉をそのまま信じて、不登校の子どものつらい気持ちも十分理解しているつもりで、子どもの言うことや要求をすべて聞いているお母さんがいます。そういうお母さんは、子どもに接するときにも、子どもの顔色や様子を見ながら、子どもを傷つけないように細心の注意を払っていると思います。
あるいは、「子どもを信じていれば、いつかきっと子どもは前に向かって歩き出すようになる」と信じて、毎日必死でがんばっているお母さんも多いと思います。
けれど、こういうお母さんが心の中で、「いつになったら学校に行くのだろう」「家にいるのなら、テレビやゲームばっかりやっていないで、何かやればいいのに」と言っているとしたら(そう思うのも無理もありませんが)、いくら理解がありそうな態度を見せても、子どもは親の嘘を敏感に感じ取るし、自分が受け入れられているとは思わないでしょう。
私はこういう場合にはむしろ、「つらいよね。学校に行かれないのは。何もすることもなくてテレビやゲームに逃げたい気持ちはわかるけど、いつまでも逃げ切れるものでもないから、どうしたらいいか考えてみよう。お母さんもどうしたらいいかわからないけど、真剣に考えてみるから」というように、母親が子どもの気持ちを一旦は受け入れたうえで、自分の気持ちも正直に伝えて、子どもと一緒に悩み、苦しんであげればいいような気がします。
「家族にしてほしいこと・してほしくないこと」~不登校・」ひきこもり体験者からのメッセージ~(日本子どもソーシャルワーク協会発行)という本の中にいいことが書いてあったので、その箇所も紹介したいと思います。
「自分の葛藤がないまま、何とか子どもを解決したいと思っても、解決にはなりません。親の葛藤は子どもの葛藤であり、子どもの葛藤は実は親の葛藤なんです。親が一生懸命葛藤して、子どものことは子どもに何とか任せてみよう、ということになって、そうだとしたら自分は、あまり子どものことに気を遣って常に子どものことを心配して監視するのはやめよう。自分は自分のやりたいテーマを見つけてそちらに時間をかけようというふうになっていった時に、子どもは少しだけ安心しはじめるのです」
また、これは私の意見ですが、お母さんは子どもを信じるより、まず自分自身を信じることだと思います。自分が信じられない場合には、自分のやりたいテーマをみつけて、それに向かって努力していく中で、信じられる自分というものを作っていくことだと思います。
子どもは、自分のために悲しんだり、暗い顔をしているお母さんを見るより、何かに向かって一生懸命になっているお母さんを見るほうが、救われるし、そこからエネルギーも生まれてくると思うのです。
また、これは付けたしになりますが、わが子が不登校、ひきこもりだからといって、殊更に子どもに気を遣って、子どもを特別扱いすることはないと思います。それこそ差別です。子どもの存在そのものを受け入れること、認めることと、子どものよくない行いや態度にはっきりとNOと言う事は、別の話だと思うからです。
不登校、ひきこもり、この先どうなるのか [不安なお母さん方へ]
不登校やひきこもりの子どもがいると、「この先、一体どうなるんだろう」と、将来に対して暗い気持ちになってしまうことも間々あると思います。まして、ひきこもりの子どもが30歳を過ぎていて、親もそう若くなくて、病気をもっていたり、健康に対して不安を抱えていたりすると、より深刻に考えてしまって、親がうつ病になってなってしまうことだって十分に考えられます。
こういう時はどうしたらいいのでしょうか。
それには2つの対処方法があると思います。
一つは「なるようにしかならない」と開き直ることだと思います。いくら親子であっても、子どものことが心配でも、親が子どもの代わりに生きてあげることは出来ないのですから、将来どうなろうとそれは子ども自身の問題だと、親である自分と子どもとをきっちりと分けて考えることだと思います。
「自分に何かあったら、子どもは生きていけない」と心配するのも、やめたほうがいいように思います。まして、親自身の健康に問題があったとしたらなおさらのことです。子どものことより、自分自身のことを考えるのが一番だからです。
「ひきこもる」ということはそれ自体とてもエネルギーがいることなので、親自身が思っているほど、子どもは弱くないと思います。どうにもならない状況に追いやられたら、生きるために食べるために、人間というのは立ち上がるものだと思うのです。
その力がない場合は、他人を頼ること、最終的には行政に助けを求めることもありだと思います(甘えるな、と怒る男性は多いと思いますが)。けれど、そうなったら、変なプライドだけは捨てなければなりません。
二つ目の対処法は、「なるようにしかならない」の、全く反対の方法です。
この先のことが心配なら、「どうしよう、どうしよう」の中にずっととどまっていないで、親自身がいろいろと情報を集めて、行動を起こすことだと思うのです。
子どもがひきこもっていて、親自身もひきこもっていたとしたら、それは精神的にもよくないので、公の相談機関に電話をかけて話を聞いてもらったり、周辺の地区の「不登校やひきこもりの親の会」に参加して悩みを共有し合ったり、カウンセリングを受けてみるなど、いろいろな方法があると思います。
そうやって行動を起こしても、満足する結果が得られなくて、失望してしまうだけということもあると思います。
それでも、あきらめないでほしいと思います。いろいろと行動を起こして、それを続けていると、親として自分が求めているものは何だったのか、自分は本当はどうしたかったのかもわかってくるし、子どもに対する接し方も変わっていくからです。
子どもの問題というより、結局は親自身の生きかたや考え方が問われることになると思うのです。自分に対しても、子どもに対しても揺れない親はいないと思いますが、その揺れる自分とどう向き合って、日々を、これから先の人生を過ごしていくかが課題になると思います。
「家庭塾」としては、不登校やひきこもりを持つお母さん方の相談相手になるのはもちろんですが、できれば「なるようにしかならない」と思うより、「何とかしたい」と思うお母さんと協力しあって、無理のないように子どもの背中を押して、子どもが一歩ずつ前に進むのを見守っていきたいと思っています。
まず、アルバイトからと思っている若者には、履歴書を買いに行くことから始めています。履歴書を買いに行くという行為さえ、かなり抵抗があるようだからです。
(※親がうつ病になってしまったら、医師に診てもらって、薬とカウンセリングを受けることをお勧めします。ただ、医師との相性や、出された薬の適性もあるので、自分に合う先生や薬が見つかるまでは何件か通い続けたほうがいいと思います。先生との相性が悪いと快方には向かわないからです)
不登校、ひきこもりのお母さんにしてほしくないこと [不安なお母さん方へ]
これまで不登校やひきこもりのお母さんたちと接していて、「してほしくない」と強く感じたことが二つあります。
まず、一つ目は、子どもと自分を一体化しないでほしいということです。
学校に行けなかったり、ひきこもりのわが子に対して、裁くよりも心を痛める母親である方がいいことは前にも書きましたが、それも程度問題だと思っています。
朝起きた時点から、子どもの顔色を窺い、やる事なすこと全てを気にして、それだけに神経を集中していると、子どもと、母親である自分とが同じ人間になってしまって、身動きが取れなくなってしまいます。(子どものことは気にしないで、自分は自分で好きなことをやればいいのだと、頭ではわかっていても、わが子のこととなるとなかなかそうはいかないのが実情だとは思うのですが……。)
けれど、子どもは、心配ばかりしている母親や、自分のことを「かわいそう」と思う母親を望んではいません。
子どものことを「かわいそう」だと思う母親は、心のどこかで自分のことも「かわいそう」だと思っているのではないでしょうか。
私は、基本的には、「かわいそう」という言葉からは、前向きなものは何も生まれてこないと思っています。
ですから、子どもが不登校やひきこもりになっても、お母さんは、自分と子どもとは別の人間なのだと自覚して、「子どもは子ども、私は私」と思って、やるべきことや、やりたいことをやったいたほうが、子どもも救われるのではないでしょうか。
二つ目は、「自分の子が不登校なんて世間に対して、恥ずかしくて言えない」という気持ちを、できるだけ持たないようにしてほしいということです。
親が子どものことを恥ずかしいと思ったら、子ども自身も自分のことを肯定できなくなるからです。
私が知っている範囲では、やはり「恥ずかしい」と思う母親の方が多くて、誰にも相談しないまま、子どもと共に息を潜めて生活しているケースがほとんどです。その気持ちもわからなくはないのですが、それでも、あえて、不登校、ひきこもりのお母さんが、自分たちのつらさや、悲しみをいろいろなところで発信してほしいと思っています。
匿名でも何でもいいと思います。発信するお母さんの数が増えれば増えるほど、不登校に対する世間の人の理解も深まるし、偏見も少なくなると思うからです。
不登校の子どもも、ひきこもりの若者もいいところをたくさん持っています。
そう思いませんか?
姿、形もなく、これまでの自分の価値観の総体にすぎない世間なんて、気にする必要はないのだと、お母さんたちには開き直ってほしいと、心から願っています。
未来に夢いっぱいの頃 [不安なお母さん方へ]
子どもが歩き始めた頃のことを覚えていますか?
歩き始めた頃の赤ちゃんは、もう歩けることがうれしくて、それはそれはうれしそうな顔をしています。
歩けることが、うれしくて、うれしくてたまらない様子です。
転んでしまって泣いても、またすぐに立ち上がって歩き始めます。
歩けるようになったことで、自分の前に大きな世界が開けたように感じ、広い世界に踏み出して行きます。
明日への不安はなく、体全体に自信がみなぎっています。
まるで世界が自分のために開かれているように、生き生きと輝いています。
それを見守る父親や母親の顔もニコニコ顔で、辺りの木々や花や風もやさしく赤ちゃんを包みます。
赤ちゃん自身は意識していないかもしれませんが、一生のうちで一番希望に満ちた時期かもしれません。
私はこの時期の赤ちゃんを見るのが大好きで、気持ちが弾みます。
それから年月が流れて、今、あなたの子どもが不登校やひきこもり、または学力不振で立ち止まっていたとしても、子どもが歩き始めた頃のことを思い出してみてください。
そして、あの頃のようにまた、未来に向かって歩き出すということを信じてください。
子どもは変わっていくものだし、いつだって可能性を秘めているのですから。
つらいことは言いにくい [不安なお母さん方へ]
新しい年度が始まりました。
進級、または入学、さらには就職して社会への第一歩を踏み出した他人の子どもたちを、あなたはどんな気持ちで見つめているでしょうか。
新学期が始まって学校に行けなくても、働けない状態が続いていても、誰に恥じることもなく、「わが子はわが子」と認めることができますか。
それとも、「学校にさえ行ってくれたら、それだけでいいのに」と思ったり、ひきこもりのわが子に対しては「いつまで、この生活が続くのか」と暗い気持ちになり、落ち込んでいるのでしょうか。
どちらにしても、母親の方が父親より、子どものことは気になるし、客観的に見ることもむずかしいように思います。
客観的に見られないと、わが子と自分とを一体化してしまって、子どもも自分も追い詰めていくことになってしまいます。
子どもの父親が、つらく苦しい母親の気持ちをわかってくれたら、それだけでもかなり救われると思います。
けれど、母親であるあなたが一人で抱え込んでいるとしたら、それはとても苦しいことだし、子どもに笑顔も見せられないでしょう。
子どもは、本当は母親の悲しい顔は見たくないのです。
あなたは、自分のつらい気持ちを、誰かに聞いてほしいと思ったことはありませんか。
自分の家庭のことは、特につらいことは簡単には言えないと思います。
それでも、たった一人でつらい思いをしているのと、誰かに聞いてもらってわかってもらえるのとは、ずいぶん違うのです。
新年度は、まずお母さん自身が自分の気持ちを「聞いてもらう」ことから始めませんか。
つらいことを口に出して、心を軽くしてみませんか。
来週あたりから、「不登校、学力不振のための家庭塾」専用の電話を設置する予定です。
そうしたら、またお知らせします。