SSブログ

不登校の生徒には居場所が必要 [アンおばさんの教育ミニコラム]


夏休みも残りわずか、不登校の生徒とその保護者にとっては気が重い時期になるかと思います。
子ども自身も、「2学期からは学校に行こう」と考えていたり、わが子にそう言われれば淡い期待を抱くこともあるかもしれません。

先週、NHKの朝の番組で「不登校」を取り上げていましたが、その中で、「いじめ」や「友だちとの関係」、「担任の先生が嫌い」「勉強についていけない」など、はっきりした理由もないのに、学校に行けないケースを紹介していました。

実はここ1年ばかり、小学3年生の不登校の生徒とラインのビデオ電話で週に1度ほど話をしています。
学校に行けなくなってから、1年余りになりますが、保護者も学校の先生も、学校に行くことを強くは勧めていません。

どうして学校に行きたくないかアンも尋ねたことがありますが、まだ3年生ということもあり、その理由を説明する言葉はもっていません。
アンも彼女を学校に通わせるために話をしているわけではありませんが、家にいることが当たり前になってしまって、この先もずっと学校に行かないのはよくないと思っています。
そこで試しに、「学校に行くのがいやなら、4年生になっても、5年生になっても、中学に行くようになってもずっと行かないことにしよう」と提案してみました。
すると、彼女は「それは人間としてよくないでしょう」と、大人びた返事をしました。
よくわかっているし、学校へ行けるものなら行きたいと思っていると想像できます。

彼女がなぜ不登校になったかというと、「特に理由はない」という上記のケースだと思われます。
学校には行っていませんが、同じマンションに住む同級生とはよく遊んでいます。

「特に理由がない」ということについては、これはアンの想像になりますが、同じ年齢の友だちに話を合わせなければならないのが苦痛に感じられるのではないでしょうか。

かなり以前になりますが、チャレンジ高校を2年でやめてカナダに留学した生徒がいます。その彼が、留学する前の夏休みに、1カ月間、カナダの学校の体験学習に参加したことがありました。
その時に、みんなで昼食を食べに行くことになり、木の下で一人で本を読んでいた生徒を誘ったといいます。
その時に、その生徒は「この本を読んでいたいから、行かない」と断ったそうです。
すると、誘った生徒たちは「じゃあ、またね」と言って、彼の気持ちを尊重したと言います。日本だったら、こんなことはあり得ないとアンの生徒は言っていました。

また、授業中も一つのテーマに対して、いろいろな意見が飛び交い、それが刺激的でおもしろかったといいます。

友だちと自分の考え方や感性が合わないのは当然のことなのに、学校では空気を読んで、友だちに合わせ、自分の気持ちや意見を言えないことが今の学校のような気がします。
それは自分の意見をもっていたり、感受性の豊かな生徒にとっては、居心地の悪い、楽しくない学校になってしまうのではないでしょうか。
もっとも、学校がつまらない場所でも、自分の気持ちに蓋をして友だちに付き合わなければならない場所であったとしても、それを我慢して通っている生徒も数多くいるとは思います。
「わがままだ」と決めつけることもできるでしょう。

けれど、タイトルに書いたように、不登校の生徒にとっては学校以外の「居場所」が必要だと思います。
NHKの番組では、小学校から不登校だった生徒は高校から通信制高校に通うようになり、もう1人はフリースクールに通うようになって、そこに自分の居場所を見つけたようです。

自分に合った居場所は探せば見つかると思います。
不登校の生徒、保護者の方も、勇気を出して前に進んでほしいと思います。

私事になりますが、去年、亡くなった息子は不登校ではありませんでしたが、小学校では浮いた存在で、先生や友だちから認められずに、自己肯定感も低かったのですが、中学1年の時に、長野に山村留学(通称、ダイダラボッチ)に行き、そこで出会ったスタッフや子どもたちとの交流を通して、未来への展望を拓くことが出来ました。
彼にとってはそこで過ごした1年間が、後々まで、亡くなる間際まで大きな財産になっていたと思います。



共通テーマ:学校