都立チャレンジ高校受験と英語、そしてやる気 [学力不振]
ただ、10年以上前に、アンがチャレンジ高校の受験生を対象とする塾を始めた頃とは、状況が様変わりしているように思います。
当時はまだ、チャレンジ高校の歴史も浅く勢いもあって、不登校や学力不振の生徒が通う高校としては最適な高校だと思っていました。
けれど最近は、私立の通信制高校や通信制サポート高校、オンラインで授業をする高校など選択肢が増え、志望さえすれば、ほぼ全員入学出来るという状況になっているかと思われます。そうなると、わざわざ作文や面接の練習をして、倍率もあって不合格になる可能性もあるチャレンジ高校を受験する意味(私立の通信制高校などと比較してチャレンジ高校に特別に魅力を感じれば別ですが)が問われていると思います。
授業料の問題もありましたが、今年2020年度からは、年収910万未満の家庭は、私立高校の授業料が実質、無料または低く抑えられるようになったことも、都立にこだわる理由が薄れているかもしれません。
因みに、2020年(令和2年)の都立チャレンジ高校の倍率は以下のようになっていました。
六本木高校 1.59倍
大江戸高校1.38倍
世田谷泉高校 1.18倍
稔ヶ丘高校1.25倍
桐ヶ丘高校1.14倍
この倍率を見ただけでも、ひと昔前と比べると、人気の低下が窺えます。
だからと言って、チャレンジ高校の存在意義がなくなったかといえばそうではないと思います。
それが、今日のタイトルの「都立チャレンジ高校受験と英語、そしてやる気」につながっていきます。
アンがチャレンジ高校の受験生にこれまで関わってきて、一番やりがいを感じのは、生徒の変化です。
初めはやる気がなかった生徒も、最終的にはやる気になって、そんな生徒と接しているのが楽しいからです。
中には、初めからやる気がある生徒もいますが、大部分はこれまで頑張った経験がない生徒、または、内面にはやる気を秘めていても、目標をもって、何にどのように取り組んだらよいのかわからない生徒たちでした。
現在はコロナ休校で、すでに3か月近く、多くの生徒が学校に行けない状況が続いていますが、これまでも学校に行ってなかった生徒はどのような気持ちで、毎日を過ごしているのでしょうか。す
学校に行かなければならないプレッシャーから解放されてほっとしているでしょうか。
それとも、クラクラスメート達が学校に行っていない今なら、学校に行けると思うのでしょうか。
学校があろうとなかろうと大切なのは、今をどのように過ごすかだと思います。
実は、英語で通って来ていたチャレンジ高校3年生のM君が、4月いっぱいで家庭塾をやめました。
去年の8月からだったので、約9か月通って来たことになります。
チャレンジ高校受験の時もそうでしたが、やる気がなかったわけではなく、何をどう勉強していいかわからなかっただけです。
勉強の方法さえわかれば、チャレンジ高校受験の時もそうでしたが、目標に向かってひたむきな努力が出来る生徒でした。
それは英語についても同様で、英語以外の大学受験の科目をどう勉強したらよいかわからないというので、リクルートの「スタデイサプリ」を勧めたところ、すぐにやり始めて、英語について言うなら、週に1回アンのところに通って学ぶ内容の何倍もの量を自分で勉強し理解して、定着させていました。
教材についても本屋さんに出向き、自分に合った実力がつきそうな本を購入し、それを繰り返し、繰り返しやっていました。
8月の時点では、まだ中学の内容をやっていたのに、今年に入ってからは大学受験の勉強に手が届くようになっていました。
その結果、他の受験科目と同様に、英語も「スタデイサプリ」1本でやろうと決心したのです。「合格特訓コース」で、志望校に合わせた担当コーチがついて合格までサポートしてくれるそうです。
志望大学のランクも今のM君にはハードルが高すぎると思える大学ですが、指定校推薦で楽に入れそうな大学は断固として拒否しています。
M君は幾度となく、通っているチャレンジ高校の雰囲気が自分に合わないと言っています。
周囲にやる気がある人が少なく、大学進学に向けて真剣に取り組んでいそうなクラスメートが見当たらないといいます。もっと、やる気のある友達の輪の中で高校生活を送りたかったと言っていました。
3か月近くにも及ぶコロナ休校で、学校側からは、特に課題らしい課題も出ていないとのことです。することもなく、ゲームばかりしている生徒もいるようです。
他方、M君は「スタデイサプリ」を有効に活用して、志望校に合格できる力がつくように、毎日頑張っていると想像出来ます。
結果の如何にかかわらず、M君のやる気は生きていくうえでの大きな力になると、アンは確信しています。
今回、アンが書きたかったことは、チャレンジ高校の受験生にしろ、英語を学びに通ってくる生徒にしろ、アンの関わる姿勢は変わらないということです。
それは、これまで勉強に対する気持ちがイマイチだった生徒に、「今日の授業」を積み重ねていくことでやる気が自ずと湧いてくるようにしてもらうことです。
やる気というのは、「やる気を出して」と強制しても出るものではなく、傍らに誰かがいて、やるべき内容や、やり方がわかり、やる習慣がついてきた時に生まれてくるものだと思います。
その場かぎりのやる気ではなく、それを継続させることも大事です。
そしなると、これまでのやらない自分より、やるべき内容をきちんとやる自分の方が、心地よいと思えるようになります。
M君はおよそ1~2か月の間に、「今日の授業(1)~(3)」のS子ちゃんはやっとその兆候が見えてきたところです。
夏休みを終えて [学力不振]
前回書いた記事が5月だったので、ほぼ4ケ月振りの更新です。ブログを書く時間もないほどに忙しかったとは言えませんが、今年は例年に比べると忙しかったのは事実です。
特にこの夏休みはいつもの夏とは違っていました。これまではチャレンジ高校受験の生徒が主流だったので、夏休み中はまだ生徒がいなくて暇でした。
ところが、英語の指導が増え、そのための準備やアン自身の勉強に当てる時間が増えたためです。
今回初めて、英語の夏期講習を入れたことも理由の一つです。
この4月から通って来るようになった私立大学付属中学2年の女子生徒が対象でしたが、アンのところまで片道2時間をかけて通って来るので、成果が出ないと時間と授業料の両方が無駄になってしまうので、ボランティアも含めて長時間、付き合ったからです。
丸暗記が得意な女子生徒の中で、自他共に認める暗記が弱い生徒でした。特に単語を覚えるのは苦手で、4月の時点では、週に1度の授業でどこまで出来るようになるか、見通しが立てられない部分はありました。
それでも、往復4時間かけて通って来る根性や、2時間の授業が倍になってもやる気を失わないその姿勢に、可能性はあると思っていました。
成果としては、4月の中間テストではこれまでの倍以上の点数を取ったものの、期末テスト、夏休み明けのテスト(中1から中2の1学期までの範囲)では、平均点をかなり下回っていました。
けれど、それもアンは想定内だと思っています。しつこいと思えるほど繰り返し繰り返しやった結果、これまでに学習した範囲の理解は出来ているものの、それを実際の問題を解く時にうまく応用できないこと、一つの問題を解くのに時間がかかりすぎること、自宅で一人で勉強するのが苦手で、すぐ眠くなってしまうことなどが原因です。
いずれにしても、中1の英語が全くわからない状態から始めて、ある程度はわかるようになり、指導がスムース進むようになるには、少なくとも半年は必要だと思っています。
今月で半年、これからは点数を取ることも考えて学習を進めていこうと話し合いましたが、それには通って来て熱心に学習に取り組むだけではなく、自宅学習がかかせません。
単語も教科書の英文を読みながら覚えると定着しやすいこと、英文を後ろから訳さずに、前から順番に訳していくと、英訳しやすいとわかったので、今はその方法でやり始めたところです。
通い始めて間もなく2年になる私立大学付属高校の1年の女子生徒は、今年の1月の英検の試験で準2級に合格し、高校に入学してから帰国子女もいるというAランクの英語のクラスで頑張っています。
今になって、通い始めた頃はbe動詞と一般動詞の区別もよくわかっていなかったと言っていましたが、今ではそんなことが信じられないくらいです。中学3年までは定期テストでは常に90点以上は取っていました。
この夏は、大学受験の前段階として、WORD SENCE(大西泰斗、ポール・マクベイ著―桐原書店)に取り組みました。夏休み中に1冊終える予定でしたが、あと少し残っています。毎回30ページほどを宿題に出し、その内容をU子ちゃんが先生役になって、アンに説明してもらう方法で進めてみました。ポイントをきちんとおさえ、大事な部分はほとんど漏らさずに覚えていました。受け身の勉強から能動的な勉強に変わってきたことも事実です。
本の内容は、基本動詞の使い方を分かりやすく解説したり、動詞と文型のつながり、いろいろな接続表現について述べられていて、英文を理解するのに欠かせない内容が盛り込まれています。
また、英検2級の単語については、毎回宿題に出し、チェックするようにしています。
彼女の英語の力はかなりあると思っていますが、それは回転の良さと、暗記力が優れているからだと思います。
アンが出来ることといったら、ただ傍にいることだけと言っても過言ではありません。
現在、高校3年の男子生徒は通い始めてから1年になります。以前の記事にも書きましたが、宿題は全くやってこないので、数か月前から出さないことにしました。
そのため、英語の勉強は家庭塾でするだけです。自宅でもやらないと成果は上がらないものの、真面目に通い続けているので進歩はしています。
まず、途中で数分の休憩は取るものの、2時間集中して学習ができるようになったこと、不規則動詞の変化をほぼ全て覚えたこと、主要な文法事項は理解していること、1学期の英語の期末テストがこれまでになく良かったこと、また、お母さんによると英語への拒否反応がなくなってきたとのことでした。
今はもう進路を決めるぎりぎりの時期に入っていますが、最近になって大学に進学することを決めたようです。夏休み中にオープンキャンパスにも行ったとのことでした。お母さんやアンも一緒にと思ったのですが、一人で行きました。
大学のランクに関わらずに、今から一般受験で大学に合格するには相当の努力が求められるし、これまでのように自宅での勉強が皆無な状況では望みはないと思い、本人にも伝えたのですが、そう言われても進学の意思は変わりませんでした。
家庭塾以外の他の塾に行くのは気が進まないらしく、他の受験科目については自分で教材を選び、1人で勉強をすると言っています。
気が進まないことに対してはテコでも動かず、思考や行動、向き、不向きも自分の直観を頼りに決めているので、本人の意思を尊重するしかありません。
潜在的には力があると思うので、本気になれば力を発揮できるはずです。
アンとしては、やはりただ傍らにいて、その時々に出来ることを精一杯やるしかありません。
それでも、今を積み重ねていくことが、明日に繋がる唯一の道なのだということを少しずつでも認識していってほしいと思っています。
英語の指導に加えて、この夏は都立チャレンジ高校に2年で転入する生徒の志願申告書、作文と面接指導もしました。
過去に高校1年の転入試験は2度ほど経験し、それぞれ合格していたのですが、高2の生徒は初めてでした。
3週間という期間を区切っての短期間の指導だったので懸念はあったのですが、ご家庭の要望通りの回数で、予定した内容はこなせたと思っていました。
結果は不合格でした。高2の編入試験は難しく、受かりにくいとは聞いていたのですが、ハードルが高いと思いました。
作文も予想していた問題が出たし、面接も自分の言葉を持っている生徒だったので、なぜ不合格になったかわかりません。
そこで、去年、同じチャレンジ高校を受けて不合格になった生徒のことが再び頭をよぎりました。
その生徒は、後で作文の点数を聞くと、予想通りの問題が出たにもかかわらず、ひどい点数だったのですが、別の高校に進学した彼は、そこで作文の力が認められ、学年で一人、みんなの前で作文を発表することになったと報告がありました。
考えられることが一つあります。それは去年不合格になった生徒も、この夏に転入試験を受けた生徒も、これまで一度も(試験の前でさえも)家で勉強したことがないことです。この二人の生徒に限らず、これまで不合格になった生徒は、似たり寄ったりでこのタイプの生徒です。
今日現在、チャレンジ高校の生徒はまだ来ていませんが、チャレンジ高校は勉強が出来る生徒、勉強をする意欲のある生徒を求めていることは確かだと思います。特に、ここ数年はその傾向が強いと、アンは思っています。そして、それは短期間で表に出るものではなく、チャレンジ高校の先生はそれを見抜く目をもっているような気がします。
それと関連しますが、今年、チャレンジ高校に合格した女生徒は、アンと面談した時点でほぼ合格が予想出来る生徒でしたが、やる気が内面から出ていたからです。
この夏休みに成績表をもって顔を見せに来てくれたのですが、成績も素晴らしく、クラスで一番とのことでした。
学校もすごく楽しいとのことで、充実した高校生活が送れているようで、本当に良かったと思いました。
チャレンジ高校を目指す生徒は、今はやる気や元気が出ないにしても、やる気の芽を育てていく気持ちは今からもってほしいと思います。
やる気というのは、最初からあるものではなく、やっている間に少しずつ大きくなっていくものだからです。
望んでいた指導 [学力不振]
チャレンンジ高校志望の受験生ではなかったのですが、国語力をつけてほしいとの保護者の希望で、アンは作文だけを指導しました。
一般の高校を受験するのであれば、この時期であれば、作文などはやらずに数、国、英などの受験科目に力を注ぐのが普通の考え方だと思っていたアンにとって、保護者であるお父さんの考え方は新鮮に感じられました。
お父さんは、国語力をつけることこそが、現在、および将来のC君の力になると思っていたようです。
学力不振の中学生の教科指導をしていて、科目をやるよりも読解力をつけたり、作文で書く力をつけておいた方が、将来的には生徒のためになると常々感じていたアンにとっては、お父さんの要望は望んでいた指導でもありました。
目先のことではなく、将来を見据えてわが子に力をつけたいと考える保護者がいるとわかったことが、アンの励みにもなったのです。
作文の具体的な内容については、C君のお父さんは、「自分自身を深く知るため、自分の短所を見つめて、どう克服していったらよいか、これから先の人間関係の構築をどう築き上げていくか、そういう観点を踏まえた作文指導」と具体的に提示もされていました。
C君のお父さんとは何度かメールのやり取りをしましたが、本質をよく理解した立派なお父さんだと思いました。
C君もそんなお父さんのことを尊敬していて、しばしば「お父さんはすごい人」と言っていました。
当のC君は、田舎が好きで、山村留学を経験しているせいもあってか、自然界のことをはじめとして知識も豊富で、本も驚くほどたくさん読んでいる、話好きな生徒でした。
授業は通常、C君の「先生、知っていますか?」で始まり、アンが知らないと答えると、C君は得々としてそれを解説してくれました。
自分の意見はきちんともっているし、筋道を立てて話すことも出来るし、理解力もあるほうだと思いました。
また、男の子には珍しく自分の内面を的確に表現することが出来き、人間観察力も優れていたので、会話のキャッチボールもスムースに出来ました。
「どんな場所でも生きていく力を持った子」とは、わが子を評してのお父さんの言葉で、アンもそう思っていましたが、残念なことに、C君の持っているいろいろな能力が学校で評価されることはありませんでした。
C君に限らず、考える力はあっても、暗記することが極端に苦手な生徒は、今の学校教育の中では必然的に落ちこぼれていくので、特に、がちがちのステレオタイプの先生からは排除されがちです。
C君はそのことを「ゴミのように扱われる」と言っていましたが、同じようなケースを、アンはこれまでに何人も見てきました。
作文はC君がこれまで読んだ本の要約から始まり、志望する高校に提出する「自分の長所と短所」の作文、そして最後には論文形式のものをやりました。
以下に、C君が書いた作文も載せたいと思います。
題材を“福沢諭吉”の「学問のすすめ」にしたのは、C君が「今みたいに、勉強、勉強の世の中になったのは「福沢諭吉のせい」と言ったからです。
書く前に、C君とは議論を重ねて、いい意見やおもしろい意見も沢山出たのですが、書く段になると収拾がつかなくなって、まとめきれなくなってしまいました。それでも、アンの意見は全く入れずに、C君が自分一人で考え、ここまで頑張って書いたことは評価出来ると思います。
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福沢諭吉は「学問のすすめ」で「身分ではなく学問で自由競争する時代だ。勉強さえすれば偉くなれる時代なんだ」と言っていた。当時は人口が少なく、勉強すれば偉くなれる時代だった。しかし、現在では人口が増え、勉強しても偉くなれる時代ではなくなっている。それと同じく、昔は、働く人が多かった第一次産業が、現在では会社に行けば給料がもらえる比較的楽な仕事に行ってしまう傾向にあり、きつい仕事をする第一次産業に就く人は減ってしまった。その結果、国産品は値段が高くて、外国の大量生産している安い品物が出回り、外国の物ばかりが買われてしまうようになった。そして、農業人口は増々少なくなっていった。勉強しても偉くなれなかった人は、フリータやパーㇳでお金を稼ぐようになっていった。それさえも出来なかった人はニートやホームレスになっていってしまう社会になってしまったと思う。こういう社会はあまりよくないと思う。
しかし、福沢諭吉論にもいいところはある。それは、勉強をする人が多くなると、いろいろな部門が発展し、経済も発展する。その結果、国が豊かになる。国が豊かになると、科学技術や医学が進歩することになる。他にもいいところがあり、正しいともいえる。
でもやはり、僕的には福沢諭吉論は望ましいとは思わない。競争ばかりやって便利さや機能性ばかりを追求して、安全性がおろそかになる部門もある。また、自分のことだけを考える人が増えていき、地域の助け合いや係わり合いも減っていく。人の大切さもわからなくなり、親を大切に思う気持ちも減っていく。それと同じく、物の大切さもわからなくなる。
特に言いたいのは、学校という場がおかしくなっていると思う。僕が小学校に入学する時、担任の先生が、「学校は勉強と友達を作る場所だよ」と言っていたのに、最近は「学校は勉強するところだよ」に変わっていってしまった。友達という言葉が消えてしまった。友達の大切さがわからなくなっているので、友達を大切にする社会に戻ってほしい。
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最後の1か月間は作文をやりながら漢字の練習もしました。覚えることが苦手なC君が最も苦手なものは、漢字と英単語でした。
C君の短所である、嫌いなことや、苦手なことに対して我慢する力が欠けているところを、漢字を面倒くさがらずに練習していくことで、我慢する力を少しでもつけたいと思ったからです。けれど、それはC君にとって苦痛以外の何物でもなかったようです。やり始めたばかりですぐに根を上げてしまうC君でしたが、それは認めずにやり続けました。もう少し早くやり始めるべきだったという反省点も残っていますが…
進学した地方の高校で、C君が思う存分に能力を発揮し、それが認められることを願っています。
深刻な学力不振の指導法とその限界 [学力不振]
いずれのタイプに属するにしても、考える力、質問する力、意識する脳を持っている生徒は、深刻な学力不振とは考えなくてもいいのではないかと思っています。単に暗記する力や記憶する力が弱いだけのことだと思うからです。
ところが、今の学校教育では、以前よりは考える力をつけたり、記述の問題が増えているとはいえ、やはり知識偏重で暗記が強い生徒がテストで好成績を収めることになります。この結果、テストで点が取れない生徒は、だめな生徒として担任やその他の先生から見られるようになり、この傾向は中学で顕著になり、学年が進むほどその度合いを増していくのが一般的な傾向です。
アンの塾に来る生徒はやさしくて、性格のいい子が多いのですが、その部分は学校では認めてもらえません。(稀なケースとして、それを認めてくれる先生もいますが、それはそれでちょっと問題です)
学力不振ではあるけれど、性格はいい生徒が心ない先生の言葉によって傷つけられ、自己を否定するようになって、やる気まで失くしていくのを、これまでに何人も見ています。最悪のパターンは、学校で先生に馬鹿にされ(先生が馬鹿にすると、生徒もその子を馬鹿にするようになります)、家に帰っても怒られてばかりの生徒です。
このように否定され続けていると、勉強はさらに出来なくなります。
もともと勉強が苦手なのに、それを非難されてばかりではやる気など湧いてくるはずがないからです。
ではどうするかですが、ここでは5科目のテストの合計が100点未満の生徒に限って述べてみたいと思います。
アン独自の考え方になるかもしれませんが、学校のカリキュラムに合わせないで「ゆっくりと、丁寧に繰り返し繰り返しやること」しかないと考えています。
5教科なら5教科を万遍なくやるのではなく、1教科でもいいから少しずつやって、確実に出来ることや理解したことを積み重ねていくことだと思います。
この方法はアンが考え出したものではなく、生徒が教えてくれたことです。
この指導方法の基本は暗記ではなく、生徒に考えてもらうこと、理解してもらうこと、また押しつけられての勉強ではなく、自発的に勉強する気になってもらうことです。さらに欲張っていうと、自分が今、何の勉強をしているのか、何がわかっていて、何がわからないのかを自覚してもらうことも大切です。
難点は時間がかかることです。短期間で学力の向上は望めません。1年以上は確実にかかります。けれど、5科目の合計が100点に満たない生徒の場合はカリキュラムに合わせて、万遍なくやっていたのでは身につくものは結局は何もないというのが、アンが辿り着いた結論です。
この方法でやっていくと、一けた台であった生徒の点数が40点から50点近くまでは取れるようになっていきます。
それ以上の点数は、もう指導する側の問題ではなくて、生徒の側の問題になってきます。
それがつまり、教える側の限界ということになります。
限界の第一はやる気の欠如の問題(面倒くさがりで、宿題を出しても効果がありません)ですが、その他に精神年齢の問題、意識しない脳の問題があると思っています。
知的能力と精神年齢の相関関係はわかりませんが、精神年齢が幼いほど忘れやすいと思いますし、長時間、机に向かっていても意識しない脳(脳が眠っている状態)では勉強していても頭に入っていきません。
逆に、見せかけのやる気ではなく本物のやる気さえあれば、背後に発達障害が隠れているにしても、かなりのことがクリア出来ると思っています。
チャレンジ高校を受験する生徒は不登校と学力不振の生徒が大部分ですが、受験に必要な作文と面接いうことに限ってみれば不登校の生徒の指導の方がスムースに進みます。
やる気(精神面で問題があってエネルギーが減退していることはありますが、もともとはやる気のある生徒が多いです)はあるし、精神年齢も幼すぎるということはないし、意識する脳も持っているからです。
アンが悩むのは、学力不振の指導の限界を感じた時です。アンを悩ませる生徒を指導する場合は、かなりの忍耐力も求められます。(アンの場合は、一般の先生が怒るレベルでは腹も立たないと思ってはいるのですが…)
けれど、悩んだからといって解決できる問題ではないので、生徒が自ら成長して気づいてくれるのを気長に待って、今やるべきこと、目の前の一つ一つをやっていくしかないと、悩む度ごとに思い直すようにしています。
学力不振(=基礎学力不足)の目安 [学力不振]
「学力不振」の生徒、つまり「基礎学力」が不足しているということなのですが、私が考える「基礎学力不足」の生徒の目安をごく簡単に書いてみます。
これがクリアされていないと、中学受験、高校受験、大学受験のいずれにおいても合格を勝ち取ることが難しくなります。
そうならないためには、出来るだけ早い時期に、生徒本人、または親が「基礎学力」についてチェックし、それを克服することが大切だと思います。
【国語】
(国語の教科書を読む場合に限定します。)
①国語の教科書をたどたどしく読んでいないか。
②すらすら読んでいても、文の内容は気にしないで機械的に読んでいないか。
③文を読むことを面倒臭がり、粗い読み方をしていないか。
④変な区切り方をして読んでいないか。
⑤読めない漢字が多すぎないか。
⑥当然知っていると思われる語句を、変に読み違えしていないか。
⑦文の主語と述語がわかるか。
①から⑦までで、一番避けてほしいのは③です。文の中身(何が書かれているか)は全く考えずに、面倒臭がって、ただ読んでいるだけでは「国語力」はアップしないからです。ていねいに読むことが基本です。
文を読むことを面倒臭がる理由はいろいろあると思いますが、「読んでもおもしろくない」からだと思います。なぜ、おもしろくないかと言えば、わからないからです。
けれど、「国語」は読み方や解き方さえわかるようになれば、誰にとっても楽しい科目です。
「家庭塾」では、「国語の解き方がはじめてわかった」と、生徒がやる気になる指導を最優先課題にしています。
【算数】
(小学生の計算に限定してあります)
①10までの数字を十分に理解しているか。(10までの足し算は出来ても、6に何を足したら10になるか。3に何を足したら10になるかなど、足して10になる数が即座に言えない場合は重症です)
②かけ算は完璧か。(九九は言えても、4×6、3×8、8×7、6×8といったようにばらばらに質問した場合にすぐ言えるか。特に5以上のかけ算になると弱いのが「基礎力不足の生徒」の特徴です)
③約分ができるか。通分ができるか。
④2分の1という分数が、1÷2か、2÷1かわからなくなっていないか。
⑤分数の計算がかけ算、割り算も含めできるか。
⑥小数がわかっているか。(0.001の10倍、100倍、1000倍はいくつになるかなど)
⑦39.7÷100のような計算がすぐにできるか。
⑧小数と分数の関係がわかっているか。(0.01は分数に直すとどうなるかなど)
「基礎学力不足」の目安はまだまだありますが、これは最低ラインです。また。①から⑧までが出来たにしても、所定時間の2倍、3倍の時間がかかるようなら、繰り返し練習することが求められます。
【英語】
①該当する学年の教科書を読むことができるか。
②Be動詞と一般動詞の区別がわかるか。
③IとYou以外の代名詞がわかるか。(私とあなた以外に、Sという男の人がいた場合、SはSと書いてもいいし、heでもいいわけなのですが、これがピンとこない生徒がいます。また、theyは人にもモノにも使えるということが抜けている場合もあります)
④主語と動詞、主語を修飾している言葉、主語以外の名詞を修飾している言葉、動詞を説明している言葉などがそれぞれ見分けられるか。
文法的にはまだまだ目安となる項目はたくさんありますが、②だけはマスターしておいてほしい項目です。④については、英語の5文型がわかるかにも関連してくることなのですが、「基礎力不足」の目安としては、主語と動詞が見分けられるかがポイントになると思います。
「家庭塾」では国語の読解と作文を中心にして国語力をつけることに重点を置いていますが、ご要望によっては算数や数学、英語の指導もしています。ただし、あれもこれもということになると、効果も期待できなくなるので、まず1科目から始めることをオススメします。
「学力不振の生徒」の今の実力 [学力不振]
子どもが小学生の間はまだしも、中学生になって、特に数学や英語で学力不振に陥っていると、親は「もっと勉強しなさい」とか「やれば出来るのに何故やらないの」とか言って、子どもを責めるようになると思います。
さらに、塾に通っているのであれば、「塾に通っているのに、一体何を教わってきているのか」と思ったり、塾に文句を言うケースもあるかと思います。
月謝を払っている親にしてみれば当然のことでしょう。
けれど私は、学力不振の生徒は集団指導の中では学力を向上させることは無理ではないかと思っています。
生徒一人ひとりに合わせた、手取り足取りの個別指導が必要なのです。
では、生徒の成績をアップさせるにはどうしたらいいのでしょうか。
個別指導で学力不振の生徒(出来る生徒についてもですが)と関わってきた私の経験からいえば、出された宿題をきちんとやる以外に方法はないと思います。
個別指導の教室に通うにしても、家庭教師を頼むにしても、一科目につき週に1回1時間半~2時間の指導というのが一般的ですが、週に一度、その生徒に合った指導を受けたからといって、それだけで成績が上がるなどということはありえません(そう宣言している塾があるとしたら、ホントかなと、疑ってみるほうが賢明でしょう)。
指導時間の不足をカバーするのが、宿題とFAX指導です。
宿題をきちんとやり、さらに教師から送られてくるFAXの問題についても、その度ごとに必ず送り返していたら、成績は確実にアップします。
ところが、学力不振の生徒にとってはこれが大変なことなのです。
出された宿題についても、量が多ければそれだけで気が重くなってしまうし、やり始めてもわからない点が出てくると、すぐやる気をなくしてあきらめてしまいます。
わからないところがあったら、電話やFAXでいつでも質問してきていいからと伝えておいても、どう質問してきていいかわからないし、それ以前に面倒だと思ってしまうのです。
自分の子どもが学力不振であった場合、宿題がどれだけできるかがその子の今の実力だと思ってください。
これは宿題の量や質の問題ばかりでなく、精神力も入ります。
個別指導で手取り足取りでやってもらっている間は出来るし、わかったような気もするのですが、自宅で一人でやらなければならない宿題は、わからないところが出てきたら、まずは自分で考えなければならないし、暗記にしても問題を解くにしても、すぐに投げ出したりしない精神力が必要になります(それは出来ない自分と向き合わなければならない、孤独で苦しい時間でもあるわけです)。
わが子が宿題がどれだけできているか、出来ていなくてもそれが精神力も含めた、今、現在のその子どもの実力なのだということを、親が認識することも大切なことだと思います。
また、そこから出発していただきたいと、教える側としては思っています。
学力不振と国語 [学力不振]
ブログのタイトルにもなっているのに、これまで「学力不振」については触れてきませんでした。
私が考える「学力不振」とは、高校受験が迫ってきているのに、「このままの学力では入れる高校がない」と先生から宣告されてしまうような生徒のことを指しています。
こういう場合は、小学校の高学年の段階で学校の授業がチンプンカンプンな状態であったことが想像できるので、受験を意識してから塾に通っても学力がアップすることも、成績が伸びることも期待できません。
また、高校受験ではなくて、中学受験を考えている場合であっても、進学塾の勉強には到底ついていけず、「10教えられても1か2くらいしか頭に入っていかない」という場合も、「学力不振」に含まれると思います。
どちらの場合であっても、親が子どもの「学力不振」に気づくことが大切だと思います。それを認めることは親にとって気持ちのよいものではありませんが、気になりながらも手を打たないでいると、子どもの将来に暗い影を落とすことにもなりかねません。
親が「勉強しろ、勉強しろ」と、うるさく注意をしても解決はしないでしょう。
子どもは、自分がどうして出来ないのか、どこがわからないのか、何をどうやって勉強していいのかさえわからないのですから。
学力不振というと「頭が悪い」というようにマイナスに捉えがちですが、そうではなくて、「学力不振の状態に陥っている」だけだと思います。私が接した生徒を見るかぎりでは、「こだわりの強い子」が多いように思いました。勉強をしたくない気持ちが強ければ頭にも入っていかないし、一つわからない点があるとそこにこだわって先に進めないといった例があります。
私の息子もそうでした。中学3年の時には、私が9科目全部を教えていて大変な苦労をしましたが、大きな反省点が残りました。
それは学校の成績を上げようとして、目先の勉強ばかりをしていたことです。
結果的には成績も上がって、中学を卒業する時にはその努力に対して、学年で2人だけもらえる「賞状」まで受け取りましたが、思考力や論理力、表現力などの「国語力」はつかないまま、勉強嫌いも直りませんでした。
当時の私は、すべての教科の土台が「国語力」にあることに気づいていなかったからです。国語はやってもやらなくても成績は変わらないと思っていたし、国語の教科書をよく読めば国語はできると思っていたからです。
けれど、今になって考えてみればそれは間違いだったと確信をもって言えます。さらに、中学生に数学や英語を教えた経験から言っても、「国語力」がない生徒は、数学の文章題の意味がわからないので問題を解くことができないし、英語もある程度はできるようになってもその先でつまずくことになります。
算数ができない、英語ができないというのも心配だとは思いますが、「学力不振」の生徒に一番必要なのは、手を差し伸べて辛抱強く付き合ってくれる先生の存在と、「国語力」をつけることだと思います。
本を読むことが嫌い、文章を読むのが苦手ということで、国語はできないと思っている子どもたちもいると思います。中学受験でも国語はだめ、という生徒が多いのも事実です。
けれど、日本人であるかぎり、国語はそれなりの方法でやれば必ずできるようになります。ほとんどの子どもたちが携帯でメールを打っているのですから、「国語力」を身につけることは、その延長線上に考えればいいことなのです。
コミュニケーションの道具としても大切な国語は、やってみればとても楽しい科目です。
また、不登校の子どもにとっては、会話をしながら進めていく国語は心が解放される科目でもあります。
以上、書いてきたことから、今後は「不登校、学力不振のための家庭塾」の一番の柱を「国語力をつけること」にしたいと思います。