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望んでいた指導 [学力不振]

かなり日にちが経ってしまいましたが、この3月末で指導が終了し、東京から地方の高校に進学したC君のことも、チャレンンジ高校の受験生と同様書いておきたいと思います。C君は昨年の夏休みの集中特訓から始まって、この3月末まで通って来ていました。
チャレンンジ高校志望の受験生ではなかったのですが、国語力をつけてほしいとの保護者の希望で、アンは作文だけを指導しました。

一般の高校を受験するのであれば、この時期であれば、作文などはやらずに数、国、英などの受験科目に力を注ぐのが普通の考え方だと思っていたアンにとって、保護者であるお父さんの考え方は新鮮に感じられました。
お父さんは、国語力をつけることこそが、現在、および将来のC君の力になると思っていたようです。
学力不振の中学生の教科指導をしていて、科目をやるよりも読解力をつけたり、作文で書く力をつけておいた方が、将来的には生徒のためになると常々感じていたアンにとっては、お父さんの要望は望んでいた指導でもありました。
目先のことではなく、将来を見据えてわが子に力をつけたいと考える保護者がいるとわかったことが、アンの励みにもなったのです。

作文の具体的な内容については、C君のお父さんは、「自分自身を深く知るため、自分の短所を見つめて、どう克服していったらよいか、これから先の人間関係の構築をどう築き上げていくか、そういう観点を踏まえた作文指導」と具体的に提示もされていました。
C君のお父さんとは何度かメールのやり取りをしましたが、本質をよく理解した立派なお父さんだと思いました。
C君もそんなお父さんのことを尊敬していて、しばしば「お父さんはすごい人」と言っていました。

当のC君は、田舎が好きで、山村留学を経験しているせいもあってか、自然界のことをはじめとして知識も豊富で、本も驚くほどたくさん読んでいる、話好きな生徒でした。
授業は通常、C君の「先生、知っていますか?」で始まり、アンが知らないと答えると、C君は得々としてそれを解説してくれました。
自分の意見はきちんともっているし、筋道を立てて話すことも出来るし、理解力もあるほうだと思いました。
また、男の子には珍しく自分の内面を的確に表現することが出来き、人間観察力も優れていたので、会話のキャッチボールもスムースに出来ました。

「どんな場所でも生きていく力を持った子」とは、わが子を評してのお父さんの言葉で、アンもそう思っていましたが、残念なことに、C君の持っているいろいろな能力が学校で評価されることはありませんでした。

C君に限らず、考える力はあっても、暗記することが極端に苦手な生徒は、今の学校教育の中では必然的に落ちこぼれていくので、特に、がちがちのステレオタイプの先生からは排除されがちです。
C君はそのことを「ゴミのように扱われる」と言っていましたが、同じようなケースを、アンはこれまでに何人も見てきました。

作文はC君がこれまで読んだ本の要約から始まり、志望する高校に提出する「自分の長所と短所」の作文、そして最後には論文形式のものをやりました。
以下に、C君が書いた作文も載せたいと思います。
題材を“福沢諭吉”の「学問のすすめ」にしたのは、C君が「今みたいに、勉強、勉強の世の中になったのは「福沢諭吉のせい」と言ったからです。
書く前に、C君とは議論を重ねて、いい意見やおもしろい意見も沢山出たのですが、書く段になると収拾がつかなくなって、まとめきれなくなってしまいました。それでも、アンの意見は全く入れずに、C君が自分一人で考え、ここまで頑張って書いたことは評価出来ると思います。

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福沢諭吉は「学問のすすめ」で「身分ではなく学問で自由競争する時代だ。勉強さえすれば偉くなれる時代なんだ」と言っていた。当時は人口が少なく、勉強すれば偉くなれる時代だった。しかし、現在では人口が増え、勉強しても偉くなれる時代ではなくなっている。それと同じく、昔は、働く人が多かった第一次産業が、現在では会社に行けば給料がもらえる比較的楽な仕事に行ってしまう傾向にあり、きつい仕事をする第一次産業に就く人は減ってしまった。その結果、国産品は値段が高くて、外国の大量生産している安い品物が出回り、外国の物ばかりが買われてしまうようになった。そして、農業人口は増々少なくなっていった。勉強しても偉くなれなかった人は、フリータやパーㇳでお金を稼ぐようになっていった。それさえも出来なかった人はニートやホームレスになっていってしまう社会になってしまったと思う。こういう社会はあまりよくないと思う。

しかし、福沢諭吉論にもいいところはある。それは、勉強をする人が多くなると、いろいろな部門が発展し、経済も発展する。その結果、国が豊かになる。国が豊かになると、科学技術や医学が進歩することになる。他にもいいところがあり、正しいともいえる。

でもやはり、僕的には福沢諭吉論は望ましいとは思わない。競争ばかりやって便利さや機能性ばかりを追求して、安全性がおろそかになる部門もある。また、自分のことだけを考える人が増えていき、地域の助け合いや係わり合いも減っていく。人の大切さもわからなくなり、親を大切に思う気持ちも減っていく。それと同じく、物の大切さもわからなくなる。 
特に言いたいのは、学校という場がおかしくなっていると思う。僕が小学校に入学する時、担任の先生が、「学校は勉強と友達を作る場所だよ」と言っていたのに、最近は「学校は勉強するところだよ」に変わっていってしまった。友達という言葉が消えてしまった。友達の大切さがわからなくなっているので、友達を大切にする社会に戻ってほしい。

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最後の1か月間は作文をやりながら漢字の練習もしました。覚えることが苦手なC君が最も苦手なものは、漢字と英単語でした。
C君の短所である、嫌いなことや、苦手なことに対して我慢する力が欠けているところを、漢字を面倒くさがらずに練習していくことで、我慢する力を少しでもつけたいと思ったからです。けれど、それはC君にとって苦痛以外の何物でもなかったようです。やり始めたばかりですぐに根を上げてしまうC君でしたが、それは認めずにやり続けました。もう少し早くやり始めるべきだったという反省点も残っていますが…

進学した地方の高校で、C君が思う存分に能力を発揮し、それが認められることを願っています。

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