桜の季節に思うこと [くつろぎタイム]
ところが近づいて見て、入学式だとわかりました。
「今日は4月6日、入学式だったんだ」と心の中でつぶやきながら、晴れた空の下、満開の桜に祝福されて入学式を迎える新小学1年生とお父さんやお母さんの晴れ姿を見て、アンの顔もほころびました。
その後、いつも歩く2つの大きな公園の満開の桜も楽しみました。
やはり、桜は青空の下で見るのが一番きれいだと思いながら、しばらく立ち止まって桜と青空を見上げていました。
ソメイヨシノだけでなく、濃いピンクの陽光という桜も目を引きます。
ヤマブキも鮮やかに咲いていました。地面に目を向けると、薄紫色のすみれの花もいつの間にか沢山咲いていて、可憐でした。
木々の新芽も若葉色の葉に変わっています。
花や木が好きなアンは、このような景色の中に身をおくと心が弾みます。
年に1回、満開の桜を見るとしあわせな気持ちになります。
3年前に膝を骨折して手術をした時は、もうウオーキングはやめた方がいいと医師から言われましたが、半年ばかり休んで再開し、開始した10年前と同じように週に3回、1時間ほど歩いています。携帯の歩数計を見ると、以前と変わらず分速70メートルほどになっています。
1年先がどうなのか想像も出来ませんが、身体も気持ちも同じ状態で桜の花を愛でられたら、それだけで十分だと思っています。
紅葉 [くつろぎタイム]
週に4、5回歩いている公園の木が色づき始めたのに気がついたのは10月の終わり頃のことでした。
プラタナスによく似た葉をもつ大きな木が並んで2本、青空の下、天高く黄葉していました。(その黄色の葉を家に持ち帰り、ネットで名前を調べたのですが、未だにわからずじまいです)
私は思わず「わあ、きれい」と声に出し、ウォーキングの足を止めて、その木をしばらく見上げていました。
それからというもの、その2本の木を見るのが、少なからぬ私の楽しみになりました。
やがて、葉の色は黄色から、オレンジっぽい色になり、今では枯れた茶色の葉を、木のてっぺん辺りにわずかに残す程度になりました。
11月中旬になると、森になっているその公園の木々が次々に色づくようになりました。ほとんどが黄葉で、その中で、桜の葉だけが黄色からオレンジ色に、そして赤色に変わっていきました。
黄葉といっても色はいろいろで、いちょうの葉のようにはっきりした黄色もあれば、淡黄色やミカン色、橙色、ウ金色、その他表現できない色もありました。
名前もわからないその木がいち早く黄葉して、私のお気に入りの木になった頃、公園の他の木はまだ色づいていませんでした。
もみじなどは、まだ青々とその葉を風になびかせていたくらいです。
それぞれの木が、黄葉や紅葉の早い、遅いを競い合うこともなく、その木なりの色づき方で染まっていく様子を見て、「人間とは違うな」と、ふと思ったりもしました。
11月も終わり頃になると、まだまだ黄葉が残っている中、1本の大きなもみじが、染まり始めました。
同じ1本の木なのに、黄緑色の葉もあれば、オレンジ色も、そして真っ赤に染まった葉もあります。
同じ親から生まれても、兄弟それぞれに違うのと似ているな、と思いました。
この間の日曜日、仕事の帰りに、駒込にある「六義園」に紅葉狩りに行ってきました。
私が歩いている公園とは、比べようもないほどに、見事に色づいたもみじがたくさんあり、その美しさはまさに夢の中の世界でしたが、やはり心が引かれるのはいつも歩いている公園のもみじです。
身近にあって、その場所に行けば、必ずその木(もみじも含めて)に会えるからです。
大きな木が動かずに(当たり前のことかもしれませんが)、いつも同じ場所に立っていてくれると、なぜか気持ちが落ち着きます。
さらにこの1ヶ月余りは、森の公園に入った途端に、目の前に開けてくる黄葉や紅葉の美しさを見ていると、その美しさが目だけでなく心にも染みて、身も心もきれいになっていくような気がするのです。
私にとっては、何ともいえない、しあわせなひと時です。
今日は、これから一緒に「もみじ」を歌いませんか。
秋の夕日に 照る山もみじ
濃いも薄いも 数ある中に
松を彩る かえでや蔦は
山のふもとの すそ模様
谷の流れに 散り浮くもみじ
波に揺られて 離れて寄って
赤や黄色の 色さまざまに
水の上にも 織る錦
秋桜(コスモス) [くつろぎタイム]
歌が大好きで、年に1、2度、コンサートに行くのを楽しみにしている私も、聞くのは得意でも、自分で歌うとなると家族にあきれられるほど音程をはずします。
それでも、自宅でくつろいでいるときは、自然に歌を口ずさんでストレスを発散させています。
みなさんも思いっきり声を出して、この季節の歌、「秋桜(コスモス)」を歌ってみませんか。
秋桜(コスモス) さだまさし作詞・作曲
淡紅(うすべに)の秋桜が秋の日に
何気ない 陽だまりに揺れている
この頃 涙もろくなった母が
庭先でひとつ咳をする
縁側でアルバムを開いては
私の幼い日の思い出を
何度も同じ話 繰り返す
独り言みたいに 小さな声で
こんな小春日和の 穏やかな日は
あなたの優しさが しみて来る
明日 嫁ぐ私に
苦労はしても
笑い話に時が変えるよ
心配いらないと笑った
あれこれと思い出をたどったら
いつの日も ひとりではなかったと
今さらながらわがままな私に
唇かんでます
明日への荷造りに手を借りてしばらくは楽しげにいたけれど
突然涙こぼし元気でと
何度も何度もくりかえす母
ありがとうの言葉を
かみしめながら
生きてみます私なりに
こんな小春日和の 穏やかな日は
もう少しあなたの
子どもでいさせてください