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「私が」から「あなたが」へ [アンおばさんの教育ミニコラム]

毎朝、楽しみに見ていたNHKの朝ドラ「ちりとてちん」が、先週の土曜日で終わりました。
視聴率はあまり振るわなかったようですが、初回から最終回まで変わらずに貫かれていたテーマに、私は共感していました。

それは前回のブログ記事「山村留学先のご紹介」にも通じるものでした。
日々の平凡な暮らしを積み重ねていくことが、大切だということです。

けれど、高校を卒業したばかりの主人公の喜代美には、それがわかるはずもなく、「スポットライトを浴びて、輝きたい。脇役のまま人生を終わりたくない」と、心の底から思っていました。
そして、子どものことや、人のことばかりを考えて暮らしている自分の母親に向かって、「お母ちゃんのようになりたくない」という言葉をぶつけ、家を飛び出して、故郷の福井から大阪に向かいます。
わが子に、自分の生き方を否定された喜代美の母親は何も言いませんでした。

喜代美くらいの年代の少女が、母親の生き方を否定したり、批判的に見ることはよくあることだと思います。
そうやって、親を踏み台にしたり、親を乗り越えて、自分の未来を築いていこうと思うことは、悪いことではなく、むしろいいことだと思います。
親は、子どもが自分のやりたいことを見つけて、楽しく、幸せに暮らしてくれたら、それだけでうれしいからです。
子どもの悲しそうな顔や、つらい顔は、できれば見たくないからです。
喜代美の母親もまさにそんな母親でした。

大阪に出た喜代美は、自分のやりたいことを見つけて、10年以上の修業を積み、女流落語家になります。その先には、これまで以上に輝いたスポットライトを浴びる人生が待っているはずでした。
ところが、結婚した兄弟子との間に、子どもが授かったことがわかると、喜代美は潔く落語をやめる決心をします。
自分の母親のように、子どもや、周りにいる人間の世話をして、周囲を明るくする人生を送りたいと思ったからです。
「お母ちゃんは太陽だったんだ」と言いながら、昔、母親を傷つけたことを謝ります。

喜代美の母親にかぎらず、主婦や母親というのは、評価されることの少ない存在です。
日々の、平凡で、たいしておもしろくもない生活を、延々と続けているだけなのですから……。
誰からも評価されなくて、思うようにいかない子育てに疲れ果てて、虚しくなってしまうことも間々あると思います。

けれど、毎日、毎日、おもしろくもない(家事や子育てが大好きという人もいるかもしれませんが、そう多くはないと、私は勝手に思っています)ことを、繰り返しやり続けることは、簡単なことではありません。まして、子育てとなると、すぐに結果が出るものでもなく、喜代美のように30歳ちょっと出たくらいで、母親のすごさに気づいたら上等だといえるかもしれません。

ここで注目したいのは、喜代美の母親が、自分のことを太陽だと思っているわけでもないし、自分を犠牲にして、人のためにだけ生きているわけではないことです。
喜代美の母親は、ごく自然に、楽しそうにそれをやっています。

「私が」は後回しにして、「子どもの笑った顔がみたい」「あなたにしあわせになってほしいと」と、「私が」より「あなたが」を優先して考えます。
喜代美は、そんな母親の生き方が「豊か」だと気づくのです。

だいぶ昔のことになりますが、子どもがいて、なおかつ輝いている女優さんがいました。
私の子育て真っ最中の頃のことで、あれだけ忙しく仕事をして、輝いていたら、まだ幼い子どもたちは輝けないのではないかと、ふと思ったことを覚えています。
光があれば、必ず陰もできると思ったからです。
私の危惧は当たってしまい、彼女の子どもは犯罪者になってしまいました。

今の世の中、「あなた」より「私が」ばかりが、はびこっているような気がします。
有り余るお金を持っている人も、それで豪邸を建てたり、きらびやかなモノで飾ったりして、さまざまな「あなた」がいることに気づこうとさえしていません。
莫大な利益を上げている大企業も、さらなる競争へと突き進んでいくだけで、社員のことを大切にしていません。
政治家はもっとひどいです。自分が得することだけを考えて、国民のことなど全く考えていないように見えます。

それに比べると、「私が」より、「子どもが」や「あなた」を考えて、悩んだり、苦しんだりしながらも、子どもや家族を、気づかないところで支えている女性は、エライと思います。

毎日の何気ない暮らしを、ていねいに大切に過ごしましょう。
そして、自分の子どもに、「豊か」だと感じてもらえる生き方ができたらいいですね。


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