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笑顔の行方(3) [笑顔の行方]

文句が会話

母が私の家で暮らすようになって1週間が経ったときのことでした。それまで、毎食ごとに私が2階の母の部屋まで運んでいたのですが、食後の歯磨きには1階の洗面所まで下りて来られるようになっていたので、昼食は1階で食べることにしました。
見た目はずいぶん回復しているように見えたので、私がそう言うと、「階段だってやっとのことで上り下りしているだけで、まるでだめなのよ」と、いつもながらの否定的な言葉が返ってくるだけでしたが、とにかく私と一緒に食べられるようになったのです。

母に合わせたやわらかめに炊いたご飯と、味噌汁、やわらかいのを通り越してグチャグチャに茹でたほうれんそうのおひたし、生協の豆腐だんご、それに皮をむき細かく刻んだトマト、という簡単な献立でした。
食べ始めた途端、母の文句が始まりました。
母も知っている私の友人の名前を出して、「○○さんや、××さんの家は、もっときれいに片付いているんでしょ」
「冷蔵庫の扉に、ずいぶんベタベタとものを貼り付けているのね」
「この味噌汁、ちょっと濃すぎない」など等、次から次へと、私への非難と受け取れる言葉を口にしたのです。
これまで母と一緒に住んでいた弟の、「お母さんに満足感を与えるの至難の業」という言葉も思い浮かびました。(うつ病になる前の母はこうではなかったのですが、人が変わってしまったのです)

長年、自分ひとりで気ままに昼食をとっていた私は、他人に対してなら聞き流せるはずのそれらの言葉に、いちいち反応してしまいました。
掃除が大好きとは言えないまでも、それなりには片付けているつもりだったし、冷蔵庫の貼りものも必要だからそうしているのであって、味噌汁に至っては、薄味好みの私がそれ以上薄味にしたら味がなくなってしまうほどの薄さにしているのに、「まだ、文句があるの」という感じでした。

昼食が終わった後はしばらく、新聞を読みながら食休みをするのがこれまでの私の習慣でしたが、母はすぐに立って片付けることを要求します。
母が家に来る前に、週に1度、実家に通っているときもそうでした。
私が片付け始めないと、母が落ち着かなくなって、イライラしてくるのが黙っていてもわかるので、私もすぐ片付けることにしていたのです。
私なりに母に合わせているつもりでした。

腰の悪い母が、イスに坐っていられる持久時間は1時間弱なので、やがて母は自分の部屋に引き上げていきましたが、私の気持ちは穏やかではありませんでした。
その日は、介護の仕事をしている息子がまだ家にいたので、早速、母に対する不満を息子に聞いてもらいました。

「おばあちゃんは、家にずっと引きこもっているから、話題がないんだよ。そうやって、お母さんに文句を言うのが会話なんじゃないの」
“そうか、そうなんだ”と、私は息子の言葉にすっかり納得してしまいました。
同時に、母に対する腹立ちがスーッと消えていきました。
文句を会話と考えたら、いちいちそれに反応して、腹を立てることもないと思ったからです。
また、私に遠慮しないで自由にものが言えるというのも、いいことだと思いました。

ところで、不登校やひきこもりのあなたは、母と同じように会話のネタがなくて、親の言葉や態度に文句を言ったり、難くせをつけたり、突っかかったりしていませんか。
それが甘えの範囲内なら仕方がないにしても、威張ったり、命令したり、親を奴隷のようにこき使うことがあるとしたら、それは今すぐにでもやめてほしいと思います。
そんなことを続けていると、あなたは自分自身をさらに追い込み、暗いトンネルの中から出られなくなると思うからです。

また、不登校やひきこもりの子どもをもつお父さん、お母さんも、いくら子どもが悩んだり、苦しんだりしているからと言って、子どもに暴力を振るわれたり、奴隷のようにこき使われることがあるとしたら、そんな状況は長引かせないでください。
その場に留まらないで、逃げ出すか、勇気を出して、誰かに助けを求めていただきたいと願わずにはいられません。



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