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追憶―悲しみ [つぶやき]

約一年前の8月16日、一緒に暮らしていた母が亡くなった。
亡くなったのは、8月16日だったが、それよりも私は、母が階段から落ちて救急車で病院に運ばれた8月1日の深夜のことが悲しく思い出される。

階段から落ちた時には意識もしっかりしていて、「救急車を呼ぶなんてそんなオーバーなことをして」と言っていた母だったのに、その1時間半後に医師から告げられた言葉は、「今日、明日の命でしょう」という思いがけないものだった。
何か月か入院すれば家に帰れて、また一緒に暮らせると思い込んでいた私にとって、それは信じられない夢の中の言葉のようだった。それでも現実であることは認識していて、処置室から締め出されて一人で待合室にいた私は、夫や弟たちに電話をかけながら、泣きながら母の危篤を伝えていた。

弟一家と一緒に住んでいた実家から私の家で暮らすようになった3年近くの間は、以前の母とは比べものにならないほど厄介な人になってしまって、心を尽くして介護しながらも母のことが好きではないと思ったことも何度もあった。
けれど、母がこの世からいなくなってしまうかもしれないと思った瞬間、母に対する溢れるばかりの愛情が込み上げてきた。
何と言っても大事な大事な母だった。

それでも、階段から落ちた日から16日間、母は何度もの止血手術に耐え、頑張ってくれた。私と二人の弟たち、それに4人の孫たちのために別れの時間を作ってくれたのだと思う。最後まで私たち子どものことを想ってくれている母だと思った。
それ以上に、母はまだまだ生きたかったのだとも思う。
意識が戻らない母に向かって、私は同じ言葉を繰り返した。
「お母さん大好き。ありがとうね」と……。その他にもいろいろと語りかけたが、それがやはり一番伝えたい言葉だった。

日々の生活の中では、週に何日か1時間ちょっとのウォーキングに出掛けて帰って来た私を迎える母の安心した顔、丸1日生徒が来る日の朝の「今日は1日あなたに会えないから、また顔を見に来たの」と2階から度々降りて来た母の心細げな顔が思い出される。
そして、晩年を私と共に過ごしたことは、周囲の誰からも言われるように、母にとっても私にとっても幸せなことだったのだと心から思える。

悲しみは突然にやってきた。
これからは少しずつ、悲しみは薄れていくかもしれないけれど、生きている限り、母を亡くした悲しみは消えないだろう。
今はもう、元気な私に戻って、大きな声で笑うこともできるようになったけど、それでも胸の底に悲しみが居座ってしまったような気がする。
つらいことや悲しいことは今までにもあったけど、母を亡くした悲しみに比べれば小さなことだったのだと今さらのように思えてくる。
もう一度だけでも母に会いたい。けれど、それは叶わないことだから……
心の中では生きていても、私のお母さんはもうこの世にはいないのだから……

母のことが恋しくてたまらない。



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