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さようなら不登校(完)PART1―アン [Ayuとアンの不登校記録]

アンが初めてAyuちゃんと出会ったのは2008年、2月3日のことでした。
その日は朝から雪が降っていて、埼玉のAyuちゃんの家に向かう途中は、練馬のアンの自宅からおよそ2時間もかかるその遠さにうんざりしてしまい、とても引き受けられる仕事ではないと思いました。
それでもAyuちゃんの家に行ったのは、知人の家庭教師センターからの依頼でAyuちゃんの家の所在が摑みきれていなかったことと、会う以前に一度Ayuちゃんと電話で話をした感触から、Ayuちゃんに好感をもったからでした。

とはいえ、Ayuちゃんとは一期一会になる可能性も十分にあり得ると思っていたアンは、その日だけでもAyuちゃんや、同席したAyuちゃんのお父さんの気持ちを明るくしたり、楽に出来たらとそのことだけを考えていました。
それには、それまでのAyuちゃんとお父さんを認めつつ、いじめにより2年の2学期から不登校になってしまったというAyuちゃんに、その話をうやむやにしないで真摯に向き合うことだと思いました。
そんなアンに対して、Ayuちゃんは自身の不登校についても率直に話してくれて、お父さんも、病気で入退院を繰り返しているお母さんに代わって、Ayuちゃんのためにこれまでやってきたことを、時につらそうな表情も見せながら話してくれました。

Ayuちゃんの指導が始まったのは、受験生の指導が終わってひと息ついた、3月初めのことでした。
「今までの家庭教師とは違う」というAyuちゃんの言葉で決まったようです。
遠さの問題は残っていましたが、アンと出会ったことが、Ayuちゃんの未来を拓く足がかりになると信じて、アンも踏み出すことにしたのです。
以下は、この2年余りの月日を簡単に振り返ったものです。


2008年3月

Ayuちゃんからアンに初めてのメールが届きました。
Ayuちゃんの家に担任の先生が来るという前日のことでした。3年になったら学校に行くことを決心していたAyuちゃんと、事前の話し合いをするために先生が訪ねてくることになっていたのです。
ところが仕事で疲れきっていたお父さんは、そのことに対して後ろ向きで、その態度と物言いに傷つきキレてしまったAyuちゃんが、アンに収まらない気持ちをぶつけてきたのです。
このメールを受け取ったことが、「さようなら不登校」を始めるきっかけになりました。

2008年4月

3年の始業式の日と、その次の週は丸々1週間学校に通えたAyuちゃんでしたが、翌々週からは全く行けなくなってしまいました。
アンは学校に行くことをAyuちゃんに強制することはしませんでしたが、Ayuちゃんから尋ねられれば「行けるなら行ったほうがいいと思うけど」」と答えていました。

2008年5月

連休明けに学校に行くか、行かないかで悩み続けていたAyuちゃんでしたが、結局、5月は1日も学校に行くことが出来ませんでした。体育祭が雨で延び延びになっていて、その練習の輪の中には入っていけないというのがAyuちゃんの言い分でした。
そこで、学校のことはしばらく置いておくことにして、その代わりに家での勉強に力を入れることにしました。数学と英語の1年と2年の抜け落ちている部分をやり、数学については同時進行で3年の教科書も勉強しました。また定着を図るために少量の宿題も出しました。
Ayuちゃんと話すことと、勉強時間の割合は半々位でしたが、勉強の時間になるとビシビシやったので、かなりきつかったと、後になって打ち明けてくれました。

2008年6月

中間テストは受けたいと張り切っていたAyuちゃんでしたが、やはり、学校に行くことは出来ませんでした。
どちらかというとAyuちゃんは明るい性格ですが、ひとたび学校のことを考え出すと、心が千千に乱れ、どうしていいかわからなくなりました。
勉強も、その時の精神状態に作用されがちで、やる気があったり、なかったりしていましたが、それでもアンが立てた計画通りにほぼ進んでいました。少し説明するとすぐに理解出来るので、そのことも幸いしていたと思います。

2008年7月

中学に対しては相変わらず拒否反応が強いAyuちゃんでしたが、この時期になると高校進学への決意を固めていたので、情報を収集するために、7月末には、AyuちゃんとAyuちゃんのお父さん、アンとで「不登校、中退者のための進路相談会」(東京都教育センター主催)に行きました。ここで、チャレンジ高校、定時制高校、通信制サポート校についての説明を受けました。

2008年8月

7月の初めから8月の中旬まで、Ayuちゃんは精力的に受験勉強に取り組んでいました。数学に比べると、英語の遅れが目立っていたのですが、「英文ワーク」(数学研究社)で基本文型を毎日少しずつ自分でやった結果、英語もだいぶわかるようになってきました。

しばらく中学校のことには触れませんでしたが、8月の下旬になって、学校についての作文を書くことを提案しました。この時期は、勉強に対してのやる気がなくなっていたので、ここで自分の気持ちを見つめ直し、再スタートしてほしいと思ったからです。

タイトルは「私と疲れ」で、Ayuちゃんにとって学校がいかに疲れる場所であるかを書きました。
学校に限らず、Ayuちゃんはいつも人の視線が気になって、それが気になりだすと、人からどう思われているのかを勝手に想像して、悪く悪く考えてしまい、それが疲れの原因になるという内容でした。
そういう自分の特性を知っておくことが、外に出て人と付き合う時のポイントになるし、Ayuちゃんだけでなく、若い子にはその傾向が強いということも知っておいた方がいいと思い、例をあげながら時間をかけて話し合いました。
自分が持っている感情は多かれ少なかれ人にもあるということがわかると、友達との関係も意外にスムースに行くものだとアンは考えていたからです。

2008年10月

9月から10月にかけては、Ayuちゃんにとって怒涛の日々でした。
中学校で仲のよかったA子ちゃんが、クラスの中で孤立感を深め、それはAyuちゃんのせいだと、やはり仲のよかったB子ちゃんから聞かされたことが原因でした。
3年生になったら学校に行くことを決めていたAyuちゃんに対して、学校側はAyuちゃんとA子ちゃんを同じクラスにしていたのです。
自分が学校に行かないことで、A子ちゃんにつらい思いをさせていると知ったAyuちゃんは深く傷つき、自分を責め続けました。
この頃になるとアンにも、Ayuちゃんは通っていた中学校そのものに拒否反応があって、どうしても行くことが出来ないのだということがわかってきていました。
そんなに嫌いな学校なら、行かなくていいとアンも思い始めていたのですが、悩みに悩んでいるAyuちゃんを見て、「そんなにA子ちゃんに悪いと思うのなら、学校に行ったらいいんじゃない」と口を滑らしてしまいました。

それからのAyuちゃんのアンに対する反撃は大変なものでした。
先生になんて私の気持ちはわからないと激しい言葉でアンをなじり、背を向けてしまったのです。この時ばかりはどうしたものかとアンも真剣に悩んでしまいました。
学校に行けない自分でも、周囲の人たちに認めてほしいという切実なAyuちゃんの思いを、今更のように感じ、軽薄だったと反省もしました。
一方で、素の自分どころか、むき出しの自分をアンにぶつけられたことは、Ayuちゃんにとっていいことだとも思っていました。

2008年11月

中学校の個別面談、卒業アルバム撮影などを悩みながらスルーしてきたAyuちゃんでしたが、この時期にはもう志望校も決まって、その高校の学校説明会にはアンも一緒に行きました。
アンが手配してAyuちゃんの家に届いた学校案内のパンフレットの中から、Ayuちゃんが気に入って決めた高校です。専門コースのついた全日制の普通科の高校でした。
説明会では個別相談や体験授業にも同席して、個別相談では担当の先生にAyuちゃんのいいところを懸命にアピールしたりもしました。

実はアンがAyuちゃんに合うと思った高校は別にあったのですが、本人の意思を尊重するのが一番なので、志望校に合格するために出来ることは全てやって、合格を勝ち取ってほしいと思っていました。
高校選びについてはAyuちゃんのお父さんからも、Ayuちゃんとアンに任せると言われていたので、家庭教師というよりAyuちゃんの母親に近い心境になっていました。

2008年12月

志望校の願書については時間をかけて、Ayuちゃんとじっくりと取り組もうと思っていたのですが、お父さんが予定していた願書提出日をアンが勘違いしてしまったため、前日になって慌てて、携帯でメールのやり取りをしながら書き上げました。
Ayuちゃんも自分に合った表現や言葉を見つけるために何度も何度も書き直しをしたりして、夕方から始まった願書の作成は、夜中の12時を回った頃にようやく出来上がりました。
Ayuちゃんも大変だったと思いますが、それに付き合ったアンもエネルギーを使い果たし、翌日は疲れてぐったりしてしまうほどでした。
それでも満足のいく願書が仕上がったし、当日の面接さえ上手くいけば、合格は間違いないと思っていました。

ところが、合格発表の当日、Ayuちゃんの元には合格通知が届きませんでした。
大丈夫とは思っていたものの、Ayuちゃんもアンも相当にヒヤヒヤして、ある種の手違いから翌日になってそれが届いた時には本当にほっとしました。

2009年3月

まだまだ人の目が気になって仕方のないAyuちゃんですが、自宅から20分ほどの距離のある駅までアンを迎えに来たり、やせるために(アンから見たらとても太っているようには見えないのですが)ウオーキングをしたり、以前には考えられないほど外に出られるようになってきました。
それでも卒業式に出るか出ないかで悩んだり(結果的には、自分の意思で出席しないことを決めたのですが)、友達関係で葛藤があったり、自分のことが嫌いで嫌いでたまらなくなったり、合格した高校に通うことが出来るかと不安になったり、Ayuちゃんの気持ちは常に波打っていました。
アンと直接に会って話したり、メールであれこれやり取りしている間はいいのですが、しばらくすると再び落ち込んで、勉強に対してのやる気もこれまでで一番ひどい状態になっていました。
それを指摘すると、今まではアンの前で無理をしていたという返事が返ってきました。
それは仕方がないことでした。気持ちの面ではやさしく寄り添うことは出来ても、勉強面では「やる気がないなら、やらなくていいから」ではすまないと思っていたからです。
精神面のサポートと同時に、高校に入ってからも困らない程度の学力をつけておくことが、Ayuちゃんの今後の力になると確信していたので、妥協はしてこなかったからです。

2009年4月

高校に入学する前に、Ayuちゃんにとっては最高に楽しみな一大イベントが待っていました。
大好きな浜崎あゆみのライブにアンと一緒に行くことになっていたからです。それは高校に合格したAyuちゃんへのアンからのプレゼントというより、セカンドファミリーという家庭環境の中で、懸命にまっすぐに生きてきたAyuちゃんへのご褒美という意味が込められていました。
ライブ当日のAyuちゃんは涙が出るほど感動して、アンとしては場違いな感もありましたが、来てよかったと思いました。

2009年8月

高校生になってからも、Ayuちゃんの望みをお父さんが認めてくれたこともあって、アンは1ヶ月に1回程度Ayuちゃんの家に通い続けていました。
入学した高校はAyuちゃんにとって楽しい場所とは決して言えなかったのですが、夏休みまで何とか通い続けることが出来ました。
その間、何かあるとアンに相談メールを送ってきて、アンも相談に乗ったり、アドバイスをしたりしていました。お父さんやお母さんに何でも相談出来るわけではないAyuちゃんにとって、アンはまだまだ必要な存在だったのです。部活をやめる問題、友達関係のぐちゃぐちゃ、クラス内での孤立、学校にいることのつらさや疲労感など、その時々により内容もさまざまでした。
成績については学年でもトップクラスに入っているとのことで、その時ばかりは弾んだメールを送ってきました。

2009年12月

Ayuちゃんの家に行く頻度がかなり空いてきていて、この頃になると、2ヶ月に一度位の割合になっていました。
通っている高校についてと、1年間を振り返って、Ayuちゃんは以下のようなメールをアンに送ってきています。

(初めはこんな学校来なきゃよかった、やめたいとか散々思ったり、友達とけんかしたり、部活のことで悩んだり、色々なことがありすぎて、学校に行っていなかった自分を忘れてしまうくらい、波乱万丈な日々をすごしていた気がします。)

(悲しい事も多かったけど。その分楽しいこともあったし、私にとっては充実した1年だったと思います。浜崎あゆみのライブに行けたことも宝物です。)

2010年4月

Ayuちゃんは高校2年生になりました。
出会った頃は、感情の起伏が激しくてその気持ちを自分でうまく処理出来ずに悩みに悩むことが多かったのですが、最近は、悩むことはいろいろあるにしても、そこに踏み留まったり、これまでなら折れていた自分が持ちこたえられるようになったと、Ayuちゃん自身が自覚してきています。
感情に流されるままにならないで、自分を見つめられるようになったことも、大きな成長だと思いますし、ずいぶん強くなったとも思いました。
まだ先のことかもしれませんが、アルバイトをする意欲も見せています。

先頃受け取ったメールには、「友達関係では落ち着いたり悩んだりの繰り返しです。でも前よりも、自分らしく明るく誰とでも仲良くしているなって自分でも思います」と書いてありました。

以上で、「さようなら不登校」は終りです。
中学の時には、2年近くも学校に行けなかったAyuちゃんが、普通の高校に入学して、いきなり朝から夕方までよく学校に通えるようになったと思います。
それは本当にすごいことで、よく頑張ったと思います。
中学の時から現在に至るまでAyuちゃんはいつも真剣に悩んで、途中からはアンの助けも借りながら、それでも結局は自分で答えを見つけて一つ一つ解決していったように思います。
自分らしく明るくなれたことも、Ayuちゃん自身の力です。それは高校がつらいと感じても、逃げないで自分自身と格闘し、乗り越えてきたからだと思います。
Ayuちゃんが一番多感な時期に、Ayuちゃんと巡り合い、傍にいてその成長を見られたことはアンにとってしあわせなことでした。
また、高校に入ってからも、アンが行くことを認めてくれたお父さんの存在もアンにとってはありがたいことでした。お父さんが口を出さずに全てをアンに任せてくれて、十分な時間を与えてくれたから、Ayuちゃんとここまでやってこられたのだと思います。
お母さんの連れ子であるAyuちゃんにそこまでの愛情を注げるAyuちゃんのお父さんのことを、アンは本当にすごい人だと思っています。お父さんは、アンの娘と同い年でとても若いお父さんです。

今後はAyuちゃんに会う回数もメールも減っていくことが予想されますが、これからもAyuちゃんのことはずっと見守り続けていきたいと思っています。
そして、これからもまっすぐでまじめなAyuちゃんの良さを失わずに、人の目もあまり気にしないようにして、Ayuちゃんらしく生きていってほしいと願っています。
この時期しか味わえない青春も十分に楽しんでほしいとも思っています。

※さようなら不登校」(完)PART2はAyuちゃんが書くことになっています。

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