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笑顔の行方(4) [笑顔の行方]

笑顔の正月

ここ数年のお正月は、私一人で実家の母に新年の挨拶に行くというより、食事づくりや買い物など、通常どおりの介護に通っていたというのが実際のところでした。
一緒に住んでいる次男一家との接触もほとんどないままの、母にとっては孤独なお正月だったと想像していましたが、今年は昔に戻ったような賑やかなお正月でした。

元旦に、私の弟たちの家族が我が家に勢揃いしたからです。総勢10人でした。
母がうつ病になってからというもの、他人はもちろんのこと、自分の兄弟たちにも会いたがらなくなって、それは母とは同居していない長男夫婦にも当てはまるものでした。

ところが、大晦日になって、次男一家が年賀の挨拶に来るというのを伝えると、長男夫婦も呼んでほしいと、母の方から言ってきたのです。
これを聞いて、私はうれしくなりました。
長男(私にとってはすぐ下の弟)が母のことを大切に思っていて、母の顔を見たいということはわかっていたからです。

当日は、弟たちが来る前にも、母は2階の自分の部屋から何度も何度も下に降りて来ていました。
最近は、「ちょっと、あなたの顔を見に来たの」とか「偵察に来たの」とか言って、1階に降りて来る回数が多くなっていた母でしたが、いつもの比ではありませんでした。
とても、腰に持病がある人とは思えないくらいです。

新年会は夕方から始まりました。
居間の畳に坐れない母は、一人だけ台所のテーブルに向かって、おせち料理も煮物くらいしか食べられませんでしたが、やわらかい笑顔を見せていました。
みんながそれぞれに母のことを気にかけて、入れ替わり立ち代わりに母の相手をしたからだと思います。
そんな母の様子を見て、「これまでと、顔つきが全く違うね」と、長男夫婦が安心したように言いました。
それは毎日、一緒に暮らしている私や家族も感じていることでした。

私はつくづく母を引き取ってよかったと思いました。
週に1度、介護に通って母の暗い顔を見るより、介護は毎日になっても、母の笑顔を時々でも見られるほうが、精神的に楽だからです。

親自身がいくら充実した生活をしていても、自分の子どもが暗い顔をしていたり、つらい思いをしていたら、親もしあわせにはなれないのと同じように、自分の親が暗い顔をしていたら、子どももしあわせにはなれません。
母の笑顔を見ることが、私の喜びにもなることを、このお正月で実感しました。

それでは、どうして、時々でも母に笑顔が戻ったのでしょうか。
それは、母と一緒に暮らし始めた私や夫や息子が、特別に何かをしたからではないと思います。
母自身が、「私はここにいていいんだ」というものを、感じ取ったからだと思います。

今でも、母の心の中には不安が残っているし、不満もあるかもしれません。
けれど、今のわが家は母にとっては安心できる場所になりつつあるのではないかと、私は思っています。

学校に行けない、社会に出られないというのも、そこにその子どもや若者が、「自分はここにいていいのだ」と思えないからだと思います。
この頃、母は前ほど自分のことを否定しなくなりましたが、自己肯定感を持てるほどには回復していません。

私は、母が今以上によくなることをあえて望まず、現在の母をそのまま認めて、無理をせずに、淡々と、そして自分の気持ちに素直になって、母と接していこうと思っています。
それで、母がよくなっていけばうれしいし、よくならなくても、大切で、愛しい母であることに変わりはありません。

不登校やひきこもりの子どもたちにとっても、「そのままのあなたで、ここにいていいんだよ」と思える、安心できる学校や、社会になるといいですね。



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