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笑顔の行方(1) [笑顔の行方]

長年の夢であった、「不登校、学力不振のための家庭塾」を現実のものにしたいと思ったのは、去年の夏に、関西に住んでいた知人が亡くなったことがきっかけでした。
その知人のお嬢さんは、中学の時から不登校になり、その後10年にわたるひきこもり生活を経て亡くなってしまったのですが、それからというもの知人も精神を病んで入院してしまいました。
知人は悲しみと絶望の中に身をおいたまま、6年もの間、入院生活を続けていましたが、一筋の光も見い出せないままに、突然に天国に旅立っていきました。

私がその知人に最後に会ったのは、2000年の晩秋の頃で、入院中の病院に見舞ったのですが、地の底にいるような暗く、生気のない彼女の顔を見て、そのあまりの変わりように衝撃を受けたことは、未だに忘れられません。

彼女の死に直面して、 「彼女のようにつらく、悲しい思いをする人はもう見たくない」と強く思いました。
彼女のことと、子育てで苦労した自分自身の経験が重なって、「不登校、学力不振のための家庭塾」を、私のライフワークにしようと決心したのです。(私のブログに時たま登場する絵は亡くなった彼女が遺してくれた絵です)

ところが、7年前に、私がショックを受けた同じ顔を、ごく最近、母の顔の中に見てしまいました。
母がうつ病を患っていることは前の記事にも書きましたが、その母が持病である腰痛を悪化させ、全く動けなくなって、10月中旬に入院してしまったのです。
入院生活が3週間を経過した頃には、何とか杖をついて歩けるようになったのですが、退院後も、見てくれる人がいなければ日常生活は無理だと医師から言い渡されてしまいました。
病院では治療のしようがない患者を、いつまでも入院させておくわけにはいかないとのことで、退院を迫られていました。
家の人が面倒を見られないなら、施設をという話も出ました。

それを聞かされた母はショックを受け、知人と同じように、生気のない、暗い顔をしたのです。
母と一緒に住んでいる弟一家は、お嫁さんも勤めているので、日中は面倒を見てもらうわけにもいかず、先に対する不安で母の心の中はいっぱいになっていました。
ヘルパーさんを有償で頼むにしても、すっかり人嫌いになってしまった母にはそれも出来ません。
「春になってあたたかくなるまで私のウチに来る。そうすれば少しはよくなっていると思うし……」
私がごくしぜんに発した言葉に、母は「お願いします」と頭を下げました。
うつ病になって以来、物事を決断することが出来なくなっていた母だったので、その即答に、私も弟夫婦も驚いてしまいました。

母を放っておくことができなくて、覚悟も何もないまま、母を引き受けることにした私に対して、夫も息子も理解を示してくれました。
夫は、「一番大変なのは、介護するキミなんだから、キミさえよければ、ボクはいいよ」と言ってくれ、息子は、「ボクを育てたときのように、何でも先回りしてやってあげないほうがいいよ。お母さんが大変になるし、おばあちゃんも自分の頭で考えなくなるからね」と、経験(?)に基づいた貴重なアドバイスをしてくれました。

母の退院が11月の18日と決まり、それからの1週間はてんてこ舞いの忙しさでした。広くもない我が家の一部屋に介護用ベッドを入れ、母の荷物を運び込むスペースを作るために、プチ引っ越しさながらの経験をしました。
退院日が決まってから介護用ベッドが運びこまれる日までは、1週間もなかったので、昼間整理しておいた荷物を、夜になって夫と息子が倉庫に運び込んでくれました。(夫の実家が、私の家の隣にアパートを持っていて、その一室が開いていたので、そこを貸してもらうことにしたのです。夫の実家の好意がなければ、母を引き受けることはできずに、息子に家を出てもらうところでした)

トイレに補助用手すりをつけてもらったり、お風呂場に福祉用具を取り付けてくれる業者を頼んだり、介護保険を住民票を移さずに適用してもらえる方法はないかなどを所轄の役所に相談したり、やるべきことを数え上げたらキリがないほどでした。
お嫁に行った娘は、「お母さんは、頑張りすぎるから、私はおばあちゃんのことより、お母さんのことが心配」と、本気で私の身を案じてくれました。

4年前にうつ病になってしまった母は、昔の前向きな母とは全く違ってしまっていて、心の中は不満と不安でいっぱいになっていました。
「私はなんて、だめな人間なんだろう」と、自分を否定し続けていて、私はそんな母と、正直のところ、うまくやっていく自信もありませんでした。

母はうつ病であるばかりでなく、ひきこもりでもあります。そんな母の考え方や、気持ちが、暗いトンネルの中で身動き出来ずにいる不登校やひきこもりのあなたたちと似ているように思えます。

ドリカムの歌に「笑顔の行方」というのがあって、その歌とは全く状況が違いますが、今、母の笑顔は行方不明になってしまっています。
母に笑顔が戻って、再びふつうの会話ができるようになることを願いながら、また、同時にこれを読んでくれている不登校やひきこもりのあなたたちに笑顔が戻ることを願いながら、これから時々、母のことを書いていきたいと思っています。