SSブログ

不登校の生徒のキモチ [生徒]


もう2か月近く前のことですが、ある区の適応教室に通う不登校の生徒たちの劇を見てきました。
どうして不登校になったのか、学校に行かなくなってから家でどう過ごしていたか、自分をどう思うか、生徒に対する親の姿勢はどんなだったかなど等、生徒自身が自分たちの本音をそのまま語っているような劇でした。

その中から、印象に残った言葉をメモしてきたので(言った通りの言葉ではありませんが、ニュアンス的には同じだと思います)、それを下記に書きます。

・在籍校の人には会いたくない。無理に学校に誘われる気がして……本当は行きたいのに行けなくて、自分が一番つらかったから……

・部活でいじめられて、学校に行くのがつらくなって不登校になった。オレをいじめるのはやめてくれ!

・すごく怖い先生がいて不登校になった。

・家では、テレビを見たり、マンガを読んだり、好きなことばかりしていた。お母さんはいつも怒っていたし、家にいるのもつらくて、何もかも嫌になった。

・高校に入れるかなとか思って、勉強しないと不安だから家では結構勉強している。やるべきことをやらないでいる自分に罪悪感がある。

・学校に行きなさい、行かないなら家で勉強しなさいと、親はガミガミうるさいよね。
なんで、親って黙ってられないんだろう。

・でも、親は将来のことを考えて、色々と言ってると思うの。親と口論した後は少し罪悪感が湧いてしまう。

上記の言葉はみなネガテイブな言葉ですが、生徒がマイナス言葉を安心して出せる場所というのは、いい環境だと思います。ネガテイブな気持ちに蓋をしないで、それを表に素直に出せるようになって初めて、前に進むことが出来ると、アンは思っています。生徒たちは、適応教室に自分の居場所を見つけ、少しずつ元気になって、舞台でしっかりとセリフが言えたのだと思います。

その後の場面では、自分たちが通っている適応教室が安心して楽しく通える場所であること、いい先生方がいること、友達ができたこと、元気になったこと、自分をダメな人間なんだと思わずに自信がもてるようになったことなど、プラスの言葉で語っていました。


適応教室にもいろいろあるようですが、この劇を上演した生徒たちが通っている教室は、生徒たちを理解し、生徒の力を伸ばすために頑張っている先生方がいらっしゃるのだと想像出来ました。
舞台上で自分の気持ちを言葉にして、しっかりと発表出来たことは素晴らしいことだと思います。生徒本人はもちろんですが、先生方のお力もあったと思います。

また、アンは生徒だけでなく、お母さん方ともお話ししているので、両方の気持ちがわかります。
学校に通えないで、家でテレビやゲームばかりやっていても、生徒は決してそんな自分をいいとは思っていないこと、勉強するにしても何をどうやっていいかわからないということ、出来ることなら学校に行きたいと思っていること等です。
一方、お母さん方は、本当は黙って見守っているのがいいとわかっていながら、学校に通っているよその子と比べて怒ったり、責めたりしながら、学校に行くこと、行かないなら家で勉強することを強要してしまいます。

それを解決するにはどうしたらいいのでしょうか。
子どもが最悪の状態から少しだけ脱して、このまま不登校を続けるのもいやだなと思う気持ちが出てきた時に、適応教室なり公共の相談機関などに出向くなどして、とにかく行動を起こすことだと思います。
何事もそれにふさわしい時期はあると思うので、焦せる必要はありませんが、悩んだり、考えているだけでは道は拓けないのではないでしょうか。


海外留学 [生徒]

去年、チャレンジ高校に合格した生徒が、昨日、海外の高校に留学するために日本を出発しました。
そして、今日、ホームステイ先に着いたというメールをもらいました。
「これから、猛勉強していきます」という彼の言葉に、彼のやる気が表れているようでした。

去年の夏、語学研修に行き、質問や意見が活発に飛び交う授業風景に心を弾ませ、人の目を気にせず、自分の意見をきちんと言ったほうが認められるという生徒同士の関係を、生き生きと話してくれた彼の姿が印象に残っています。

頑張って合格したチャレンジ高校をやめて、海外で新たな高校生活をスタートさせることにした彼の勇気と、送り出す保護者の決断に、アンも夢をもらったような気持ちになりました。

彼には、大きな夢があります。
夢を実現させるのは簡単なことではないと思いますが、希望を胸に旅立っていった、彼の前途に期待したいです。

そして、彼と一緒に英語をやって痛感したアン自身の英語力の不足を、何年先になるかわかりませんが、今度、彼に会える日までに、納得できるレベルにまでもっていきたいという、新たな目標もできました。


私が変わった3年間 [生徒]

今回の記事は3年前にチャレンジ高校に不合格になり、毎日通う通信制高校に進学したUちゃん(「2010年度チャレンジ高校受験を振り帰って(2)」)が、これから家庭塾に通ってくる生徒や、現在自分に自信がもてずに悩んでいる人への励ましも込めて、家庭塾に記事を寄せてくれたものです。
Uちゃんはこの春に高校を卒業し、4月から調理師をめざして専門学校に入学します。

Uちゃんは生きづらさや学ぶことに困難を感じていたディスレクシアの女の子でしたが、この3年間で見事に変身していました。
チャレンジ高校の合格を目指してアンの家庭塾に通って来て、たとえ不合格になっても、本人が精一杯努力した結果であれば、必ず道は開けるし、縁あって入学した高校が本人に一番合った高校だと、アンは常々思っているのですが、Uちゃんはまさにそのことを証明してくれました。



私が変わった3年間

高校に入学する前の私は自分にとても自信がない子でした。

私の姉と兄が自分たちのストレスを末っ子の私にぶつけていたことが中学までありました。その時に私の意見は言っても全部否定されていました。怒られるのが怖かった私は、姉・兄・母に言われたことだけを聞くだけで自分で物事を考えない、自分の意志を失くした子になっていました。

嫌いなものから逃げて、楽しい事は大好き。自分がやられて嫌な事は人にしないという本能に刻まれたまま生活していたのです。

そんな私は、受験する学校の為、秋にanさんの塾に通うことになりました。

anさんの元で勉強をしていくうちに、私は「自分で考える」という力をほんの少しずつ取り戻していきました。そして、高校が決まる前にanさんは私の気持ちを代わりに母に伝えてくれました。そのことがあってから私は母と面と向かって話せるようになり、自分の中で自信が芽生えてきた状態で、高校の入学式を迎えました。

私はここで変わろうと決意を持ちました。その決意というのは「自分らしくなろう」ということ。そこで、入ってすぐ初めに部活に入ることにしました。軽音楽部に入った結果、バンド内の問題で、数ヶ月しか経っていないのに退部してしまいましたが、友達が2人できました。そのうちの一人、Y君は私にとってとても大きな存在になりました。

Y君は大人しくて、とても優しい、笑顔がとても可愛い男の子でした。3年間ずっと同じクラスで、いつもあまり喋らずただ隣で笑っていてくれました。私にとってそれは3年間大きな支えとなりました。それが、高校の中で一番大切な出会いでした。

Y君をはじめとして、たくさんの人と仲良くなりました。私はゲームが好きで、特にカードゲームがその頃とても大好きでした。近くの席の男の子もカードゲームが好きということがわかり、その子に話をかけて仲良くなり、教室で一緒にカードゲームをしました。それを見て興味を持った男の子たちが周りに集まって来て、そこで数人の男の子と仲良くなりました。その人たちも3年間一緒のクラスで、皆でゲームの話をしたり、ふざけたことをして笑いあったりして楽しい高校生活を送りました。

私は女の子が苦手でしたが、7人くらいの女の子とも仲良くなりました。一人一人深い悩みを抱えていましたが、皆素直で友達思いの子たちでした。
そうして仲良しをどんどん作っている間に本能でやっていたことが凄いことだったこともありました。私は人の笑顔を見るのがとても大好きですが、その思いで人を救ったようなことをしたことが数回知らないうちにやっていました。

1年生の頃の話です。友達ができず、一人でぽつんと過ごしてた人たちも私のクラスにはたくさんいました。どうしても私は「本当に笑ってるところが見たい!!」という思いがあって、一人になってる子と一緒に笑いたいと思い、自然と声をかける習性がありました。そして一人でいる子たちとも仲良くなったりしました。

ある日、その内の一人のT君が学校に来なくなりました。「最近T君来ない、どうしたんだろう。」と心配になった私はT君の自宅に電話をかけ、「最近学校来ないから心配になっちゃって。大丈夫?具合悪くなったの?早く元気になってね!」と話すと、T君は「大丈夫だよ、ありがとう!」と言ってすぐ切りました。その翌日、彼は電話した前にいた時よりも生き生きとして元気よく学校に通うようになりました。その日のうちに担任の先生に呼び出されました。先生は私に「彼に電話をありがとう」と言いました。何故T君に電話したことを先生は知っているんだろうとびっくりし、事情を聞きました。「クラスの子に悪口を言われて来なくなった。そこにUさんが心配して電話をしてくれたおかげでT君は学校に来てくれたんだ。T君の両親に私はそのことを聞いて、二人に“Uさんに有難うと言ってください”って言われたんだ。私からもお礼を言うよ。本当にありがとう」と先生は言いました。

私は自分の行動で他の子が元気を取り戻してくれたということを聞いて、本来の自分の「ちから」に驚きました。それからもずっと私は自分のやりたいようにやっていくうちに、この3年間は私の周りにはたくさんの笑顔が満ち溢れていて、幸せな時間を過ごせました。

私は1年の時に、「自分の将来の道を自分で決めよう」と考え、3年になるまでに自分の進みたい分野を探しました。3年になって、私は調理師の免許を取って、人が自然と幸せな気分になってしまうおいしい物を作ろうと思い、調理師の専門学校に入ることを決めました。3年になってから、苦手でも一生懸命に勉強して、無事推薦で合格しました。

高校を入学してから3年間が経ちました。最初の時とは驚くほどに自分は変わり、今では卒業式に校歌の指揮者をしつつ歌って、卒業生の歌で伴奏を自分からやると言える程、自信を持ちました。

今、卒業した私はこう思います。

あの学校で良かった。あの仲間たちに出会えてよかった。
これからの仲間とも出会いたい。たくさんの本当の笑顔を見たい。

自分はやればできる。だからこれからも自信を持って、自分の道を歩んで行こう。

私の道は、私が作るものだから。

今の私は自分の成長を感じることがとても楽しくて大好きです。

もしも、自信が持てない人がいたとしたら、これは覚えていてください。

“人は皆変われるんです”

それは難しいことだろうけど、山を乗り越えなくては成長はできません。自分から変わろうと思ってください。

私は一人の力で変われたわけではありません。周りに大切な人たちがいたからです。私を支えてくれた両親がいたからです。今の私ができたのは兄と姉がいてくれたからです。皆がいたから、私がいるんです。

それに、自分が変わるだけで周りの人も知らないうちに変わるんですよ。

これを読んだ貴方も変わったりしてるんですよ。

自分のことを大切に思ってください。どんな人でも、自分に刺激をくれた人に感謝を忘れないでください。

その身体は、貴方のものでもあって、親からだけではなく、周りの人から貰ったものです。私は忘れません。この感謝の気持ちを。

最後に、もしかしたらこの一言だけで自分が変わる、周りの人が変わる、合言葉を添えておきます。“「ごめんなさい」より、「ありがとう」。”

皆、「ごめんなさい」と言われるよりも「ありがとう」と言われる方が誰だって嬉しいのです!


これを読む貴方も、その一言をつぶやきでもいいから、言ってみてください!
何かが変わったことが、感じるはずです。

ぜひ、言ってみてくださいね!!


<Uちゃんの言葉>

アンにとっては何よりもうれしい上記のステキなプレゼントをもって、成長した姿を見せに家庭塾に現れたUちゃんからは、いくつもの印象に残る言葉を聞くことができました。


中学までは勉強は大嫌いで、嫌だ、嫌だで拒否反応があった。頭に入れたくもなかった。だけど、高校に入ったら、そこにいるだけで支えてくれる面倒見のよい先生方と仲間たちがいて、自分が変わっていけた。
あんなに嫌いだった勉強も、調理師の専門学校に推薦で入りたいと思って頑張ったら、数学は100点、国語も90点取れた。自分でも頑張ったとしかいいようがない。


あれほど記憶が苦手だったのに、やる気になったら覚えられるようになった、学習障害も直ったと思う。(Uちゃんの言葉から、自分の気持ち次第で脳も変わるということが、アンには信じられる気がしました。)

アンの家庭塾に対しては、「子どもに変わってほしいと思うからこの塾に入れる。子どもも自分が変わりたいから、高校に合格したいと思うからここに来る。自分探しをして自分が変わり、自分を受け入れて、少し自信がもてるようになる。」





友達できた! [生徒]

チャレンンジ高校に入学してからも「家庭塾」に通い続けているR子ちゃんが、自分の今の気持ちを絵に表現しました。
入学した当時は、自分に合いそうな友達なんて一人もいないと言っていたR子ちゃんでしたが、一緒に帰る仲良しの友達もできました。時には喫茶店で話して帰ることもあるようです。
アンのところにおいてあるR子ちゃん用のノートに、「来週もまた頑張る」と、毎週毎週書き続けて、1学期間通い通せたという感じです。部活にも入りました。
初めてアンのところに来た頃と比べたら、はるかに元気になり表情も生き生きとしてきました。

けれどまだ、自信はもてなくて、友達とうまく話せないと感じたときや、会話が途切れたりすると、自分は本当に友達に好かれているのかと不安になったりするようです。クラスのみんなからどう思われているのかも気になります。
辛くなったり、疲れてしまったり、不安になったりして、その後にまた元気になるという繰り返しです。

それでも、この先、学校はもっともっと楽しくなっていくはずですし、友達との友情も深まっていくと思います。
また、負けず嫌いのR子ちゃんのこと、勉強も頑張るのではないかと、それもアンにとっては楽しみです。

img053.jpg

希望 [生徒]

img040.jpg


「2012年、チャレンジ高校受験を振り返って(3)」のR子ちゃんが、高校入学に向けて絵を描きました。

以下はR子ちゃんの言葉です。

私は「不登校にさようなら」して、桜咲く朝陽の中、高校に入学します。
不安もいっぱいあるけれど、好きになった自分で前に進んで、楽しい学校生活を送りたいです。

らくがき [生徒]

img039.jpg

最近は、アンの仕事も忙しくなっていて、これまでに指導した生徒の様子を知りたいと思いながら、現在の生徒で手一杯の毎日で、なかなかこちらから連絡を取ることができずにいました。
そんな中、「2010年、チャレンジ高校受験を振り返って(3)」のA子ちゃんが1年ぶりに訪ねてきました。
人と顔を合わせるのが苦手で、一歩外に出ると顔が硬直してしまい、それを人に見られたくなくて、アンと出会った頃は常にマスクで顔を隠しているような女の子でした。

ところがA子ちゃんは、顔のことは顔のこととして、去年の10月からアルバイトを始めました。すんなりと決まったわけではなく、何度か面接試験に挑戦し、それで決まった仕事です。多いときには週5日、現在は日にちは減ったものの、その中華料理店での仕事は続いているそうです。大学に進学することも考えています。

高校1年の頃は、どうしていいかわからなくなるとアンに電話で相談してきたのですが、今では一人で解決出来るようになったといいます。

この4月からAちゃんは高校3年生です。
現在の自分の気持ちを、「らくがき」という形で残していきました。
真面目な文章を書くのは照れ臭いとのことで、この「らくがく」になったのですが、2年前の気を張りつめていた頃に比べると、かなり余裕が出てきて、ずいぶん成長したなと思いました。

合格の知らせ [生徒]

チャレンジ高校の試験まで1ヶ月を切り、生徒たちにとってもアンにとってもハードな日々が続く中、一足早く生徒のお母さんから以下のような合格の知らせが届きました。

お母さんからのメール

おはようございます。
ご心配おかけしましたが、第一希望の高校からの合格通知が今、速達で届きました。
子育ては続きますが、肩の荷がおりました。
苦しい時期に支えていただき、本当にありがとうございました。
今週末は親子で笑顔で伺わせて下さい[わーい(嬉しい顔)]


夕方になって学校から帰ってきた生徒本人のSちゃんからも喜びの電話をもらいました。
Sちゃんのことは以前のブログにも書きましたが、千葉から2時間近くかけて、週に1度通って来ていた女の子です。
「家庭塾」には、約2年間通い続けました。

千葉県にはチャレンジ高校のような学校がなく、内申点を取らないことにはどうにもならないという教育環境が親子を追い詰め、この2年間の苦しみは大変なものでした。
家庭塾に通い始めて最初のうちこそ成績が上がったものの、その後は思うような結果が出せずに、アンも幾度となく無力感を味わいました。
思春期の女の子なら多かれ少なかれ持つ感情だと思うのですが、Sちゃんにはおとなしい自分から元気な自分、目立たない自分からクラスのみんなに認めてもらいたいという強い願望がありました。そのことが気になって今ひとつ勉強に身が入らないということはあったように思います

けれど、SちゃんもSちゃんのお母さんも決して投げ出すことはしませんでした。Sちゃんのお母さんは、フルタイムで働きながらSちゃんの勉強を見続け、Sちゃんもお母さんに怒られ続けながら、カメのような歩みを続けていたのです。

Sちゃんは最近まで、地元にも塾があるのに多くの時間をかけて練馬のアンの塾に通っていることを恥ずかしいことだと思っていました。
アンはそのことを何よりも偉いことだと思っています。
いやだと思ったことも、面倒くさいと思ったこともあったはずです。
まじめで疑うことを知らないSちゃんだからこそ出来たことだと思います。

時には親子で互いの存在を疎ましく思ったことがあったことも、アンは知っています。
それでも二人三脚でお母さんと頑張ってきたことが、合格につながったことは間違いないことです。
アンにとっても本当にうれしい知らせでした。
高校デビューを期待したいです。

2011年、年頭に寄せて [生徒]


喪中のために、昨年に引き続いて年賀のご挨拶はできませんが、年の初めのブログは、暮れに届いた生徒からのうれしい報告から始めたいと思います。

約5年ほど前に「家庭塾」に通って来ていた生徒が東京都の「教員採用試験」に合格して、この春から小学校の先生になるというメールが届きました。
当時はまだ「不登校、学力不振のための家庭塾」ではなく、その前身となった「読み、書き、計算」の塾を立ち上げたばかりの頃でした。
彼女は元々教員志望で、小学校の先生になりたいと思っていたのですが、その前年に受けた教育学部のある大学の試験には全て不合格になっていて、特に国語が苦手なので基礎から指導してほしいとのことでした。

授業を始めてすぐに読解力がないこと、人の話に耳を傾けることは出来るけれど自分の意見を持っていないことがわかりました。そのために、最初は灰谷健次郎の「兎の眼」を要約することから始め、段階的にレベルを上げていって、最終的にはセンター試験の「現代文」でかなりの得点が期待できるところまでいきました。

それでも彼女には人任せのところがあって、1浪してもう後がないと言うわりには、受験に臨む姿勢に切迫感が感じられませんでした。
受験間近になってもその姿勢は変わらなかったので、彼女を泣かせてしまうほど厳しい態度を取ったところ、負けず嫌いの性格が幸いしてか、それからは無我夢中で勉強するようになりました。
そして、第一志望の国立大学には不合格になったものの、教員採用試験では合格実績の高い私立大学に合格し、当初の目的を果たすことができました。

子どもが好きで、性格のよい彼女には小学校の先生は向いていると思いながら、どことなく頼りなげで素直すぎる性格では教師としてやっていけるのかという不安も、当時のアンは持っていました。
ところが、彼女は大学4年間ですっかりたくましくなっていたのです。
大学2年の時に、一度は教師への道を断念しようと思ったこともあったといいますが、母校にボランティアとして通ううちに、子どもと触れ合うことの楽しさを実感し、その後は夢の実現に向けて頑張ったようです。

難しいことや悩むことも多かったといいます。それでも、子どものちょっとした変化が見られたり、笑顔が見られたりすると、とても嬉しく思うのだそうです。
アンにとっては、教え子が先生になること自体、すごくうれしいことです。希望と勇気をもらった気がします。

繰り返しアンのブログを読んでくださっている読者の方々にも、アンにとっても、今年が希望に満ちた年になることを願ってやみません。
今年は「家庭塾」に加えて、アンも目標を設定しながら自分のやりたいことにチャレンジする年にしようと決心したので、ブログの更新もさらに滞りがちになるかと思いますが、これまで通りお付き合いいただければと思います。

家庭教師終了 [生徒]

数ヶ月前には「学校に行きたくない」とメールで訴えてきた6年生のRちゃんでしたが、夏休みに入る直前にアンの家庭教師としての役目が終了しました。
「さようなら不登校」のAyuちゃんと同じようにアンが傍についていなくても、自分で決断し、自分の足で歩けるようになったからだと思います。

アンが行き始めた1年前はクラスの友達関係に悩んでいて、それが体の不調にも現れたりして、お母さんに当り散らすことも多く、ご両親も手を焼いている状態でした。
勉強については算数が苦手とのことで、Rちゃん自身も「私は頭が悪い」と言って、そのことに劣等感を持っていました。
けれど、算数は嫌いなだけで、理解力もあるし思考力もあったので、精神的なことがなければ塾でも十分にやっていける子だと思っていました。事実、アンがRちゃんの家に行くのは隔週だったのに、1ヶ月ほど経った頃にはテストの成績も目に見えてよくなっていったからです。

問題は友人関係でした。Rちゃんは自分の考えをしっかり持っている子で、権威主義的な担任の先生にも反発する態度を見せていたので、クラス内では目障りな存在ではあったようです。
逆上がりが出来ないRちゃんに対して、先生は「がんばって」と声援を送るのではなく、「どうせ、練習しても出来るようにならないわよ」とクラスメートの前で言い放ったというのですから、ひどい先生だとアンも思いました。
担任の先生のことだけでなく、クラス内の友達関係のことも一人一人名前を出してもらいながら、毎回Rちゃんと話をして、その度ごとに対処法や解決策をアドバイスしていました。

6月になると、Rちゃんははじき出されているグループに入ることをあきらめ、まだグループに属していなかったSちゃんと友情を深めるところまで進んでいて、彼女と同じ個別指導塾にも通い始めました。
理解力はあっても勉強嫌いで、根気と集中力が続かないRちゃでしたが、Sちゃんと2人で指導を受けるようになったことで、忍耐力もついてきたようです。

精神的にかなり落ち着いてきたし、友達関係もよくなって、担任の先生との問題もご両親が校長先生と話をしたことで解決していたので(非常に珍しいケースだと思いますが…)、Rちゃんがアンから卒業出来る日も近いと思っていました。
Rちゃんの立ち直りを実感出来たからです。
この1年間、ご両親も本当によくRちゃんの気持ちに寄り添っていて、それがRちゃんが元気になった原動力になったと思います。

それでも、精神的にはまだアンが必要だというRちゃんの言葉にご両親も従っていたのですが、塾の夏期講習も受けるとのことで、7月いっぱいでRちゃんの指導は終わりました。
ああでもない、こうでもないとあれこれ考えすぎて心がパンクしてしまうことが多かったRちゃんでしたが、いろいろと経験してそれを一つずつ乗り越えていったことで、気持ちの切り替えボタンがうまく作動するようになったのだと思います。
最近になっても、「宿題がたくさんあってヤダ」とか「お母さんと冬の服を買いに行ってきました」とか、たわいないことでよくメールをしてきますが元気にやっているようです。
そんなこんなで、家庭教師としては終りですが、Rちゃんとの付き合いは当分続きそうな気がします。

梅雨の晴れ空に [生徒]

img12345168.jpg

6月のある日曜日、今年のチャレンジ高校の受験生Y君、Uちゃん、Aちゃんが久しぶりに家庭塾に集まりました。昼食を食べながら会話が弾み、楽しいひと時を過ごしました。
家庭塾を卒業してからまだ3ヶ月余りしか経っていないのですが、わずかな間にそれぞれが成長しているように感じられました。
何よりもうれしかったのは、3人共、明るい顔をしていることでした。

まずY君ですが、入学したチャレンジ高校は相変わらず楽しいらしく、入部したバスケット部ではすでにレギュラーになっていて試合にも出ているそうで、今は部活が一番楽しいと言っていました。
授業は時にさぼることもあるようですが、中1の終りから不登校になったことを考えれば、毎日学校に通っていること自体認められるべきことだと思います。中学は居心地が悪かったけど、進学したチャレンジ高校の自由な雰囲気がY君には合っていたようです。
一方で、Y君は礼節を重んじるタイプで、友達が先生にため口をきいたことに対しては腹を立てていました。「親しい仲にも礼儀あり」という言葉がありますが、Y君はそれを芯に持っている男の子です。
勉強については、最初はやさしかったけれどだんだんと難しくなってきて、簿記の中間テストの点数だけ教えてくれました。今のところ勉強についてのやる気はイマイチですが、Y君自身も公言しているように、やる時はやるタイプなのでその時になったら力を発揮するのではないかと思っています。

Uちゃんはこの日の集まりの中心でした。次から次へと話題を提供して尽きることがありません。それは入学した私立高校でも言えることで、クラスメートからも一目置かれる存在のようです。
入学当初に比べると友達関係の不満も出てきたようですが、そこはUちゃん自身が成長したことでうまく折り合いをつけていけるのではないかと思います。以前はピュアなだけだったけど、今はそうでもない部分も出てきたと自己分析しているのも、頼もしいことでした。
部活の軽音楽部ではボーカルを担当しているそうで、機会があればアンも聴かせてもらいたいと思っています。
中間テストでは数学の点数がよかったそうですが、どの科目も基礎に重点をおいているとのことでつまずく心配はないようです。
友達思いでやさしいUちゃんですが、それも程々にして、誰よりも自分を大切にしつつ、今の元気さがずっと続くといいなと思っています。

3人の中ではAちゃんの印象が一番変わったように見受けられました。硬さが取れて表情がやわらかくなったからだと思います。
家族以外は人と接するのが苦手だというAちゃんが、これまでに一度しか会っていなかったY君やUちゃんと会う気になって、会話の輪の中に入っているのも数ヶ月前なら考えられなかったことです。しかも、3人で会いたいと提案してきたのもAちゃんです。
進学先のチャレンジ高校では友人関係に葛藤はあるものの、信頼出来る友達も一人は出来たとのことで何よりだと思います。
部活は音楽部に入ったものの人数が多すぎて、その後すぐに運動部に入り直したそうです。
Y君同様勉強に対してはやる気が起きないらしく、中間テストはまだとのことでした。
中学時代の時たま不登校を在学中に自分の力で克服したAちゃんは、自分で思っている以上に明るくエネルギッシュな女の子なので、高校では本来の自分を少しずつ前に出せるようになればいいなと思っています。

3人との付き合いはこれからも続くと思いますが、どんなふうに成長していくかとても楽しみです。
また、高校で知り合った友達は一生の友になるので、家庭塾で知り合ったことをきっかけに、3人が友情を育んでくれればいいなと思っています。
ちなみに上の絵手紙は、何十年も付き合っているアンの高校時代の友達が描いたものです。