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14歳  千原ジュニア [私が読んだ本]

狭い屋根裏部屋にカギをかけ、1年以上ひきこもっていた少年の物語は、
「これは、ある14歳の物語。パジャマを着た少年の物語。僕自身の物語。」から始まった。

大人によく怒られていた少年は、社会という枠の中に自分を囲い込もうとする大人から自分を守るために、勉強して、青い服を着る私立中学に合格した。
すると、少年が嫌っていた近所のおばさんは、急に態度を変え、少年によくしゃべりかけるようになった。けれど、少年がパジャマを着て表に出るようになると、見て見ぬ振りをした。同じ僕なのに、おばさんは青い服にしゃべりかけていたんだろう、と少年は思う。

みんなと同じ道を歩むことができなくて、同じやり方も進み方もできなくて、自分だけの道しか歩くことができない少年。それでいて、自分がどこに向かえばいいのかわからない、何をどうすればいいのか、何をどうしたらいいのかもわからない。
少年が、確実にわかっているのは、自分の行く道は自分にしか見つけられないということだけだった。

少年は、両親に対しても、心の中で叫び続けている。
「お母さん、僕が僕のために走るべきレース場を見つけるまでもう少し待ってください。お父さん、僕が僕のために進むべき道を見つけ出すまでもう少し我慢してください。
僕は今、それを一生懸命に探しているところなんです。」―――――――と。

私はこの本を読んでいて、胸に突き刺さるものを感じた。
少年が自分の進むべき道をみつけるために、自分自身との孤独な闘いを続け、もがき苦しんでいる様子が、痛いほど伝わってきたからだ。
本当の自分に出会うために、思春期から自立への一歩を踏み出すために、これほど真剣に悩み苦しんで、自分と向き合い、自分と対話した少年がいたことを、私は知らない。

世の中の大部分の大人は、こういう少年に対して、「甘ったれるな」、「つべこべ言わずにやることをやればいいんだ」、「みんなが行く学校にどうして行かない」と非難したり、あるいは、少年の母親のように「頭がおかしくなったのではないか」と思うかもしれない。

逆の言い方をすれば、青い服を手に入れた少年は、他の青い服を着た少年たちと同じように、何の疑問ももたずに、新たにスタートした青いレースに参加して、ゴールを目指すことが出来たら、どんなに楽だったかと思う。
けれど、感受性の豊かな少年は、それが自分の道ではないと気づいてしまったのだ。鈍感ではいられない、不器用にしか生きられない少年は、与えられた一本の道を進むことができなかったのだ。
人生は一本道ではなく、いくつもの道があることを、少年は知っていたのだろう。

少年の気持ちがわかるというより、私はこういう感性をもつ少年が好きだ。世の中で生きていくためには、鈍感さも必要だと思うし、鈍感でなければ生きづらい世の中であることは認めるけど、鈍感ではないことが、若さの特権ではないかとも思う。
私は感性が豊かで、不器用な少年や少女たちに心が引かれる。
多分、私の中にも、同質の部分があるからだろう。

一方、この本の中の母親の気持ちも、母親の立場としてはよくわかる。
壁にいくつもの穴をあけるわが子に対して、気が狂ってしまったのではないかと思い、夕食のみそ汁にこっそりと精神安定剤を入れたり、変な名前の学校や奇妙な名前の病院のパンフレットを取り寄せたりする。
また、少年と顔を合わせることを避けようとしてパートに出たりもするが、耐えに耐えた挙句に「なぜそんなふうになってしまったの」「私たちのどこがいけなかったの」「この家にいるのが嫌なら出て行けばいい」「もう限界」と、少年に向かって鋭い言葉をぶつけたりもする。

私は、少年も、少年の両親もちっとも悪くないと思う。
それでも、不登校やひきこもりが、自分の家庭の中で起きてしまったら、親も子どももどうしたらいいのかわからないのが実情だろう。

少年のように、自分の道を見つけられればいいと思う。
そして私は、少年のパジャマを脱がせることになった少年のお兄ちゃん役になれれば、と思う。



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